お蔵入り│創作大賞に物申す
先に述べておこう。
私は自分の過去を語れるほど名誉なことをしたこともないし、素晴らしい発見もない。
「暮らし」に関してもそうだ。
なぜなら蟻のように貪りながら怠惰に暮らしているからだ。
創作大賞の応募が始まると聞き、「趣味」という名の儚さを盾に待ちかまえて応募をした。
しかし隠していた高いプライドを自分自身で誤魔化していたに過ぎなかった。
私がエッセイ部門を「適当」というプライドの塊でかの有名な陸上選手並に頭を回転させながら書いた渾身のエッセイは、秒殺された。
なぜなら、私が「作品」という驕り高ぶりながら書いたエッセイを載せた途端、運営から「自身だけが知っている体験や経験を望んでいる」と記載していたからだ。
私はそのあとnote内にある#創作大賞を探しては応募をバカにした投稿を見ては泣き笑いを浮かべていた。
笑い疲れた私は罪悪感に襲われその姿を想像し笑われ者にされている自分を空想する。
それをネタにTwitterの友に一方的に愚痴を語り、「創作大賞を述べるエッセイ」を書いてやると意気込んだ姿は恐ろしいパロディへと変貌したという。
こんな異状性癖ならぬプライドの高さには自分でも呆れるし読んだ者にも忘れてほしいほどだ。
ここで唯一noteや読者と該当することは
今私が暮らしの中で新しい目線を向けれるのは文学ぐらいしかなかったということぐらいだ。
だから私は創作大賞を暮らしと考えた。
この一瞬だけは
人生と生活に関することは執筆であった。
そんなことを述べてるが、今回のエッセイは素晴らしいものでは無いし、万人受けをしないと自負している。
ほのぼのとした生活をするために嫌なことから逃れようと文章に委ねて書いていた私に、綺麗に折り目をつけれるような器用さを文にも残すことが出来なかった。
この悲しみや辛さを乗り超えたら運営が望むエッセイを産むのだと知ってても書くことを辞めなかった。
嘘の掃き溜めや軽々しい言葉は響かないと痛感しているからこそ感情だけで今を乗り切ろうとしている。
うるさいほど感情にノリに乗った私は一旦冷静になり、
先程友人に語った美学を真面目に書こうと思う。
どんなに苦しくてもどんなに辛い経験をしようとも祖先の考え、所謂アニミズム思考を用いて、この経験もこの思いも自然なのだと受け止めるしかないのだ。
それしか私は暮らしのエッセイとして言えないと思い、急いで文字を打っている。
私は、苦しみを受け止めこの過去を「過程」として作品にした。
なぜなら経験として用いるのにはまだ早いと感じたのである。
これは去年の創作大賞で書いた私のお蔵シリーズです
いま公開した理由は拙すぎて伝わらないとこが多すぎたのでそれに気づけた自分への反省点をとにかく書きなぐりたいと思いました。
・煽りが大賞のようにみせてそれを投影しながら自分の内面の煽りに変換する様をもっと伝わりやすいように書きたかった。
・その投影や滑稽な姿を大きいものから自分へと帰ってくるというのを見せたかった
大賞→一部の投稿で賞を目指すのを笑う人→それを見て更に笑う自分
・創作大賞を通して気づけたのは私には暮らしとしての分類の中でまだ完結を見いだせないと言うことをもう少しわかりやすく書きたかった
今回の投稿は日記兼反省です!
言葉を書く習慣を作らなかったので感情を言葉にするのが下手になったので過去作を振り返りひたすら震えながら読み返し、拙い部分を見返してやりました。過去の自分もそれを見て反省してるといいです꜀(^. .^꜀ )꜆੭
自己満ですがここまで読んでいただきありがとうございます。