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極楽浄土ー3(極楽の花)
今回は、極楽浄土に咲く花の話。
極楽の花と言えば、誰もが思い浮かべるのは「蓮華」だろう。「泥の中から生まれながら、清らかで美しい花を咲かせて、しかもその花は泥に染まらない」ということから、煩悩を解脱して涅槃を得る比喩として、仏や仏法のシンボルとされてきた。
極楽の蓮華は「車の輪のような大きさ」であり、仏や菩薩の多くは蓮華を台座(「蓮華台」あるいは「蓮台」と呼ばれる)としている。なので、仏像もその上に立ったり座ったりする形で多くが作られている。
『無量寿経』には四種類の蓮華が登場する。
『優鉢羅華(「ウパトラ」=「青蓮華」)』
『鉢曇摩華(「パドマ」=「紅蓮華」)』
『拘物頭華(「クムダ」=「黄蓮華」)』
『分陀利華(「プンダーリカ」=「白蓮華」)』
これらはそれぞれ、青い花は青い色を、赤い花は赤い色を、黄色い花は黄色い色を、白い花は白い色を放っており、それでいながら全体が調和されているという。
一人一人が個性を持って、そのままの姿で輝ける世界なのだろう。
蓮華以外にも花は咲いていて、たとえば天上界の花とされる「曼荼羅華」。サンスクリット語の「マーンダーラバ māndārava 」を音写した語で、天妙華・適意華・悦意華などと漢訳されている。
「色よく、芳香を放ち、高潔でこれを見る者の心を喜ばせるといわれる花」らしい。仏の説法または諸仏出現の際に法悦の表示として天から降る、とされている。極楽浄土では昼と夜に三度ずつ、天から降ってくるらしい。
『阿弥陀経』には、「極楽浄土の人びとは、いつもすがすがしい朝になると、各自の花皿にたくさんのきれいな花を盛って、他の国々の数限りない仏がたを供養する」と書かれてある。
「供養」は、日本では先祖供養や追善供養などと言って、亡くなった人に物を供えてその霊をなぐさめる、という意味合いで使われる言葉だが、もともとはサンスクリット語の「プージャー(pūjā)」または「プージャナー(pūjanā)」で、「尊敬する」「崇拝する」という語から発したものであるらしい。つまり、尊敬する心をもって、ねんごろに奉仕したり、世話をしたり、もてなすことだ、と。
インドでは今も歓迎の意を表す風習として、色鮮やかな種々の花びらを花輪として相手の首にかけたり、直接花びらをふりまくことがあるらしい。美しい花々の色と香りによって、あたたかい心を感じるのだろう。
また、極楽浄土は「常作天楽」と言って、「つねにすぐれた音楽がかなでられている」らしい。
天上の音楽といえば、天人・天女が楽器を持って美しい奥楽を奏でている場面などを想像するが、そういうことではなく、大空に楽器がかかっていて、誰も手を触れないのに自ずから鳴り響く、という。
音楽というのはそれを聞く人に、時に安らぎや慰めを与え、時に喜びや高揚感を与えてくれるもの。心の糧として、極楽には音楽があるのだそうだ。
糧と言えば、食事。極楽の食事は、食べたいと思えばそれがたちまち目の前に現れ、見ているだけで満腹になって、深く満足すると、またたちまち消えてしまうらしい。
仏というのはもはや人ではないので、直接食べなくてもいいらしい。見るだけで味覚も腹具合も満たされるようだ。
と。ここまで極楽の花や音楽、食事について見てきた。
次回は極楽に住む鳥の話をしよう。
<参考>
『阿弥陀経のことばたち』
著者:辻本敬順 発行:本願寺出版社 2001年
『聖典セミナー 「浄土三部経Ⅲ 阿弥陀経」』
著者:瓜生津隆真 発行:本願寺出版社 1997年
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