新米と報恩講
10月3日から七十二候の「水始涸(みずはじめてかるる)」で、田んぼの水を抜き、稲刈りの準備をする頃、だそう。
うちの田舎は早稲米が主だったんで、農家の男の子たちは夏休み明けに、稲刈り焼けで真っ黒になっていたのを思い出す。ゴールデンウィーク明けは田植え焼け。
今は近くに田んぼがないからよくわからないけど、この時期はもう刈っちゃったよね? これから新米がどんどん出てきて楽しみだ。
私の実家は寺なんだけど、浄土真宗なんでこの時期は「報恩講[ほうおんこう]」のイメージが強い。「報恩講」は親鸞聖人の命日の法要のことだけど、一年で一番大きな行事で、お祭りに近い感じがする。実際、昔はその日になると境内に縁日の屋台とかも出てたらしい。
十月から十一月にかけて、市内の各寺で少しずつ日をずらして順番に行われるので、昔(私の言う昔だから、戦前あるいはもっと前の話)は山奥から出てきた爺さん婆さんが、寺に泊まり込みであちこち巡り歩いたとか。私の子供の頃も、泊まっていく人がまだいたなあ。あの頃はどの寺にもたくさん布団が置いてあった。
幼い頃の「報恩講」の風景は、玄関脇の小部屋に大勢の人がやってきて、大きな盥に米をざあざあ空けているところ。今はお参りの際、「お蝋燭」とか「お香」とか書いてお金を包んでいくのが普通だけど、昔の、特に農家の人はあまり現金を持っていなかったから、大抵米を一升、布袋に入れて持ってきたものだった。この布袋はその辺の余り布で作った手製の物で、中の米だけ置いて帰る。この時米を移していた入れ物が、大きな盥だった。赤ちゃんが沐浴するような大きさのやつ。
あとは大根とか葉物類の野菜。小豆を持ってくる人もいたなあ。端から端から台所に運ばれて、どんどん積み上がって行くのを見てた。
「報恩講」の皆の楽しみと言えば「お斎[おとき]」。これは法要の合間に出される食事で、お供えしてくれた人へのお礼で寺が出す料理。命日の法要だから精進料理なんだけど、野菜の煮物、酢の物、和物とかだね。それにお澄ましと新米ご飯。あとお酒。
うちの寺は一番多い時で三百食くらい出してた。当然寺の者だけでできるはずないから、前日から有志が五、六人来て、まだ子供だった私と妹も手伝って(学校は休んでた)やってたなあ。
手伝いはお斎だけじゃなくて、当日は朝から幕を張ったり道具を出したり、釣鐘、大太鼓など呼び出しの鳴り物を叩く係や、帳場でお供えの現金を受け取ったり賽銭を集めたりこれを記録する人もいた。法中[ほっちゅう:内陣へ上がって法要に参加する人。親戚や付き合いのある寺の住職とか]の接待をする人とか、あと誰だっけ、ともかく一杯の人が手伝いに来て、その人たちだけでも二十人近くいた。
そうそう、当日だけじゃなくて、その少し前に「お磨き」といって、お荘厳[おしょうごん:本堂内陣に置かれたり、吊り下げられている蝋燭や灯明を入れるための金属の飾りなど]を全部外して分解して、一つ一つ磨く作業があった。
これも十人くらい人が来てやってたなあ。金属磨きを新聞紙につけて擦って、あと布で磨き上げる。あの独特の臭いを思い出す。ピカピカになった時に何か誇らしい気持ちになったのも。
今はお参りも減っちゃって、ちょっと寂しい状況らしい。まずもって皆が勤め人になっちゃったから、平日の法要だと誰も来ないんだよね。
車があるから、わざわざ泊まって行く人もいなくなったし。お斎もたくさんの料理を(大鍋で)作れる人がいなくなって、仕出し弁当に代えちゃったらしい。
お供えのお米も現金に代わっちゃって、米屋で買い足さないとご飯が食べられないとか。
ということで、おしまいにしようと思ったけど、こんなところで終わるのも何なんで、うちの宗派じゃないけどちょっと面白い動画を紹介しておこう。
般若心経 cho ver. [テクノ法要Remix.] live act / 薬師寺 寛邦 キッサコ feat. 朝倉行宣(テクノ法要)【2019@京都】
結構、のれます。