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(画像はアニメ『天官賜福』二期第一話より、鬼市の賭場) 花城の支配する鬼市の賭場。ここでは様々なモノが賭け事に興じている。 中国人の賭博(ギャンブル)好きは有名らしい。そのことを記した文章があるので紹介しよう。戦前のシナ通・井上紅梅の言葉から。 賭博はどの民族においても、大抵、もとは神の意思を問う神事であったらしい。そのため中国では、平日には禁止されているが、祭などのハレの日には解禁される、と。 アニメ二期一話でも、「また鬼市が開かれるなんて嬉しいねぇ」という会話
★60のタイトル画像を見ていたら、いろいろと気づいたことがあったので、ちょっと書いてみることにした。上のタイトル画像は一期で菩薺観を開いたばかりの頃の外観。下の画像と比べると、変わったのは扉がついたことくらいで、あまり変化がないのが悲しい。あんなに頑張って「三郎」と謝憐で直したのに、と。 さて。これがアニメ二期一話冒頭に出てきた菩薺観だ。 道が上下に曲がりながら続いているが、一期五話、中元節の日に牛車で謝憐と「三郎」が菩薺観に戻って来た時には、この画像の上から下に向か
(画像はアニメ『天官賜福 貳』第五話より 幼い郎千秋を助ける謝憐) 謝憐は二度目の貶謫を受けた後、ガラクタ集めと大道芸で生計を立てていた。十二歳の郎千秋が誘拐されそうになり、それを助けた時に着ていた服も、大道芸人の物である。 謝憐が行なっていた大道芸は皿回しや胸元大石割りなどで、特に後者は原作に何度も記述がある。 胸元大石割りを中国では「胸口碎大石」というそうで、リンク先がその画像。こんなのもある。基本二人で行うようだが、謝憐は一人だったはずなので、見物人の誰かに大槌
(画像は『天官賜福』アニメ二期一話冒頭、菩薺観の朝) 『天官賜福』にはよく似た言葉が出てきて、違いがよくわからないものも多い。 その代表が「廟宇」と「道観」だろう。実際、両者の違いは曖昧なところがあり、道観の説明に、別の呼び名として「廟」が挙げられている場合もある。 なので、以下はいろいろ調べた結果の私見ということでご理解いただきたい。 まず「廟宇」であるが、調べてみると、多くこれは「祖先や貴人の霊を祭る建物。また、神を祭る建物」と書かれている。そして「神社」とさ
早くも『天官賜福』が恋しくなってしまったので、YouTubeから、私の好きな動画をちょっと並べてみることにした。なるべくネタバレのないやつで。 Moon Waltz | TGCF animation 謝憐と花城を借りて一部ストーリーをなぞりながら、また別の物語になっている。大好き。戚容がいい味出してる。 xie lian lies to himself | tgcf animatic 大体の内容しかわからないけど、悪そうな謝憐が好い。花城の困惑ぶりも。 【手書きT
今回で『天官賜福』一期二期アニメの解説を一旦終わりにし、後は思いついたら書く形にしようと思っている。 この記事は、エンディングに入ってから一期二期を振り返る映像部分の台詞を書き起こすもので、多く記録的な意味合いのものだ。 注目は、少年兵が謝憐に向かって何かを叫ぶシーン。一期でもあったシーンだが、映像のみだった一期と違い、こちらは台詞がついている。 そして最後の、今までには無かったあの言葉。 では、どうぞ。 <半月> 「花将軍、私は正しいことをしたと思っていまし
十一話の冒頭は、鎏金宴の事件からしばらく過ぎた頃、永安城下の一角で仙楽人たちが何の不安のなく暮らしている場面だ。子どもたちは路地を走り回り、老人は木陰で昼寝。通りを行き交う大勢の人。商売人だろうたくさんの荷物を積んだ馬車に乗るのは、もう永安人か仙楽人かもわからない。郎千秋の両親が願った世界が、まさに実現された光景だ。 そこから遠く離れた荒地が映し出されて、そこを飛ぶ銀の蝶、その蝶が通り過ぎた所の物陰に、深く掘られた洞窟がある。奥まった場所には、三重の棺の中に横たわる芳心国
花城は自分の存在を、謝憐を支えるためにいる、と思っている。それがどんなことであっても、謝憐はその心に従ってやりたいようにやればいい、そしてその行動と結果がどんなふうになってもそれを全力で支えよう、そう思っているはずだ。 だが、鎏金宴に関わる一連の流れの中の花城は違う。謝憐の意志に逆らい、時にはその行動を制限してまで、花城自身の意思を優先している。 それは何故なのだろうか。 「あなたが何をしたか、していないか、何故したか」、それを知ってもらうのが重要だと花城は言う。「
少し戻って、戚容が安楽王の死について話す場面。 「五臓六腑は鋭い剣の気でずたずたになっていたが、外傷は一つも無く、吐血が止まらずに最後は死に至った。普通の剣客にこんな芸当は無理だ。永安の悪党どもの企みだと思ったが、ふん、今思えばこんなことができるのは一人しかいない。 そいつはもちろん、公明正大な素晴らしい俺の兄さまだ。 何せ俺らの花冠武神で、太子殿下、超絶清らかな天山雪蓮だからなあ」 日本語版原作小説には「天山雪蓮花」の説明として「中国の天山山脈に自生する花。善良な
戚容が落ちた先は、先程花城が石像を据えた場所だ。石像の顔が映り、仮面が剥がれ落ちた戚容の顔が映る。おそらくここは、その二つの顔がよく似ていると言いたいのだろう。あまりピンとこないのが残念だが。 戚容が瞬き一つする間に、花城は少年の姿から本来の姿に戻る。「てめえか。どうやってここへ潜り込んだ」と戚容。 花城はこれに答えず、戚容の胸ぐらを掴んで持ち上げ、「安楽王はどうやって死んだ?」ともう一度訊く。謝憐は駆け寄って落ち着くよう花城に言い、戚容を離してもらうが、ほっとする間も
現れたのは、青灯夜遊こと青鬼戚容。天界の神官に対してさんざ毒づく場面があるのでこれを書き出してみよう。まずは裴宿に対する批難から。 「ふん。恥知らずの犬も飛翔できるのか。たかが種馬の裴の太鼓持ちだろう。実力があるとでも思ってんのか。裴宿の奴は島流しの野良犬のくせに、俺の邪魔をしやがった。干からびさせて骨も拾えないようにしてやる」 「あの先祖にしてあの子孫あり。クソみてえにろくでもねえ。まずは種馬裴茗の逸物をぶった切って、次は裴宿の逸物だ。奴らの廟の前にぶら下げて、それを拝
これぞ「鬼の巣穴」という感じの青鬼戚容の洞窟。暗くて、湿っぽくて、食べられる予定の人間が捕えられていて、角と牙があり鉈のような刀を手に持つ「いかにも鬼です」といった感じの魔物が大勢うろついている。頭に蝋燭を刺しているのだけは奇妙だけれど。 謝憐と花城はここに潜り込んだ、手下の鬼に化けて。 一瞬で姿を変える花城の手際が見事だ。直前まで謝憐は若邪を動かして、鬼の群れに対抗しようと考えていたのに、次の瞬間にはなんの気配もなく、鬼たちと同じ姿になっている。 頭の上の蝋燭を触っ
仙楽宮の扉を開けることが出来ない風信は通霊陣で怒鳴り、風師がヒントを与える。慕情は早速賽子を作って振ろうとするが、風信に奪われて先に振られてしまう。着いた所はなんと女湯。怒った慕情が次に振り、着いた所は泥沼で鰐の妖怪が棲む場所だった。 慕情が賽子を作った時、見えている目は「三」と「一」。風信が奪って出した目も「三」と「一」だ。どうやらこの賽子には偏りがあり、「三」と「一」しか出ないのではないだろうか。合わせて「四」だと「賽子を振った者が一番恐れる場所に行く」と花城は言って
謝憐が入った仙楽宮は、以前(最初に飛翔した時)のものと内装まで全く同じだった。謝憐は三郎を思い浮かべ、その様子を気にかける。ふと、懐に賽子が入っているのに気づき、これに息を吹きかけて振ってみる。賽子の目は「一」二つ。やはり借りた運気は使い果たしていたようだ。 そこへ慕情がやって来る。素っ気ない態度だが、薬を持って来てくれたらしい。地師が神武殿に着いた時も真っ先に治療に当たっていたので、医術に才能があるのだろう。その薬も慕情の作ったものではないだろうか。 君吾が応急処置