「"だいたいこんなもんじゃない?"の日本史」
今回は、日本史に関して、まだ書いてなかった小ネタをいくつかやろうと思います。小ネタですから、断片的です。
○邪馬台国とは?
他の人も書いているであろうことですが、「邪馬台国の卑弥呼」は、音からして「ヤマト国の姫(または姫御)」なのではないかと思われます。井沢元彦さんあたりは「呪われるから本名を告げなかった」とか言いそうですが、単純に使者が名を知らず(そこまで近しい者が使者だったわけではなく)、「我らは"ひめさま"とお呼びしてます」とでも言ったのが残っただけのことのように思えて仕方がありません。
ちなみに邪馬台国までの道程にある「水行十日、陸行一月」は、水行も陸行もできるところを併記したものと思われます。ならばそれは瀬戸内海と山陽道のこととなり、であれば邪馬台国は畿内にあったということになります。
○都市とは?
都市(町)と村落との違いは何でしょう?
この手の話は定義によって変わるものなので、ここでもその考え方の一つを提示できたらと思います。一つは「群れのレイヤーの数」であり、もう一つは「消費生活者の有無」です。
群れのレイヤーの数とは、要するに所属の数です。村落にはせいぜい「ムラの一員」「家族の一員」の二つくらいしか日常生活としてはありません。しかも、イエもムラが抱えているものとも見なせますから、その場合は一つだけになってしまいます。これに対して都市では、「マチの一員」というレイヤーはムラに比べたら希薄ですが、「家族」「職業」「居住区画」など様々な所属(レイヤー)があります。「なじみの店(の店主または客)」だって立派なレイヤーです。こういった所属の数の違いが、都市と村落との違いと言えるのではないでしょうか?
もう一つの「消費生活者の有無」というのは、他でも言われてそうなやつです。村落では構成員全員がほぼ同様の生産者であり消費者ですが、都市では違うというのです。もっとも、私が考えているのは、分業による生産と消費の分化というのもそうなのですが、それよりも、食料や燃料に関しては主に流通頼みという点です。この点では都市生活者の大半は生産者ではない純粋な消費者です。
前回の文明についてのところでも書きましたが、都市は長期間維持するのが難しいものです。日本史上で長期間の維持に耐えられたのは京都と江戸で、次いで大坂や博多、鎌倉といったところでしょうか。まあ、大坂や博多は物流拠点としての色合いが強く(京都ありきな部分が大きくて商人と物流業者くらいしか消費者がいない)、鎌倉は規模が小さく(おそらく関東八カ国+数国のヒトやモノが集まった程度。しかも個々の御家人の持ち寄りが多かった可能性すらある)、微妙なところです。
○悪人正機とは?
親鸞の「善人猶もて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」という文言は有名です。が、これについて、「悪いことをしてもいいのだ。それでも往生を遂げられる(悟れる)」といった余りにも都合の良い解釈が横行していそうなので、一言書き残しておこうと思います。
私もこの文言に興味を持って『歎異抄』を読みました。その印象では、「悪人」というのは、「自分の中のどうにもできない部分と向き合わざるを得ない人」、「自分の中のどうにもできないところのために社会にうまく適応できない人」、といった意味のように思われました。
というわけで、ここでの「善/悪」とは、「社会にうまく適応できている/いない」または、現代でも法律用語の「善意の第三者」などで使われるのと同じように、「自分の中のどうにもできない部分を知らない/知っている」と解釈するのが妥当なように思われます。
一つ具体例を挙げておきます。
通常、人と会うことなんて、その気にさえなればどうとでもなるように思います。しかし、病気やケガ、生得的なもの、家庭環境、経済状況などにより、体力や時間やお金などがなくて会いに行くことすらままならない人というのもいます。
このように、通常、人が当たり前だと思っているようなことに対して、そこに条件や障壁が存在することを"知ってしまった"人が「悪人」、そんなことを"知らずに"当たり前を当たり前のまま一生送れる人が「善人」なのではないか、ということです。
○もしかしたら、基本構造は大して変わってないかもしれない日本
a.多重請け構造
福島第一原発の事故からの復旧作業で、多重請け構造が注目されたことがありました。でも、日本史の歴史用語を眺めると、そんなものは昔から当たり前だったように思われます。以下にいくつか挙げてみます。
・成功(じょうごう):国司に任命されること
=下請け(二次請けくらい?)が入札で勝ったということ。
・重任(ちょうにん):国司に再任されること
=下請けが入札に二期連続で勝ったということ。
・受領(ずりょう):任地へ赴任する国司
=二次請けが四次請け以下に丸投げしないで現地へ行くこと。
三次請け以下の取り分を減らして自分の取り分を増やせる。
・遥任(ようにん):任地へ行かない国司
=二次請けが京都に留まり、三次請け以下に丸投げすること。
取り分は減るが都市生活を続行でき、次回以降の工作に励んだりもできる。
武士の世になっても変わりません。武家が一括で二次とか三次請けをするようになっただけです。しかも、さらなる下請けの名前が出現します。
・守護代:守護の代官
=守護が三次請けなら四次請けの人。
・又代:代官の代官
=守護代(四次請け)の代官だとしたら、五次請けの人。
おそらく人口が増え、居住地が広がるごとに下請けの数が増えていったのでしょう。
b.同調を基本にすることでしか成り立たない秩序
ヒトは群れを基本とする生物ですから、ある意味当然なのですが、それにしても日本史には別々の群れの間での合議とか合意形成によって成り立っていた期間が短いような気がします。そうでなければ中世後半のように完全に分裂しているとか。
・豪族連合→天皇家へ収斂
・貴族連合→藤原氏へ収斂
・武家連合(鎌倉)→北条氏へ収斂
・武家連合(室町)→分裂状態→徳川家へ収斂
・明治政府→薩長へ収斂
・戦後政治→自民党へ収斂
矢印の左右の期間を比べれば、歴然としています。日本人は複数の群れを前提とする「和をもって貴しとなす」が苦手で、群れを一つにしたがるみたいです。よほど内輪揉めの潰し合いとか、コストカットが好きなんでしょうね、きっと。合議制はコストがかかりますから。
一つの群れであることを秩序の基本としているのですから、その中が同調ベースの忖度とかで成り立つようになってしまうのは、当たり前のような気がします。もちろん個人的な見解ですが、日本における同調圧力とか忖度とかの根源というのは、このあたりにあるように思われます。
その意味では、現代の混乱ぶりは、社会がもう少しコストをかけようとしている動きと言えるのかもしれません。もっとも、ただの相対主義の蔓延で、短期間で何かへ収斂していくだけなのかもしれませんし、どちらになるかはわかりません。
実は社会は、ヒトの直感に反して、人々の意思の結果として事後的に成立しているもののように思われますので。
主な参考文献
『<定本>歎異抄』 佐藤正英校註・訳 青土社 2007
次回からまとめとして「未来を考えるために」と題して何回か書こうと思います。
その第一回は、持続可能社会について考えてみようと思います。