昭和の向こうを探して 〜茨城県古河市散歩〜
台風が近づいてきているから、旅立ったんです。
これは別稿になるのですが、栃木県の藤岡に。
栃木県に藤岡があるんですか?藤岡市は群馬じゃないんですか?
という質問については、別稿でやりたいと思います。
とにかく、最初は栃木の藤岡に行こうとして、東武日光線の藤岡駅に降り立ったんです。そしたら、本降り。
駅から1.7kmあるし、なんやかやと、橋を渡ることもあるので、雷も聞こえてきているから、こりゃだめだ、と戻りました。
どうしようかなあ、と考えた末、沿線の新古河駅から古河まで歩いて行こうと思いました。本当に久々の古河行です。
以前、こんな日記を書いたことがあります。
でも、こっちから、アプローチしたことはありません。
新古河といっても、ここは埼玉県、いわゆる北川辺町という場所だったところですね。
駅を降りたら、ちょっと土手を登って、おっと、もう川だ。
昔、三国橋と言った橋ですね。ちなみに、ここも渡良瀬橋と呼ばれていたことがあるらしいです(歴史資料館でそんな記述があった)。でも、こっちは、あの方の渡良瀬橋ではない。
さて、渡ります。
意外と短いですが、川は雄大です。
あっち方面が、いわゆる渡良瀬遊水地。これは車で行ったほうがいい。あるいは、もっと涼しいときに行ったほうがいい。
えっちら、おっちら、渡り終えました。
こっちからアプローチする人なんて、ほとんどいないのでしょう。雑草が道にマシマシておられまして、ここから下るのを断念しました。足に、マダニがひっつくの嫌ですからね。
案外、大河川に歩いてアプローチするのって、難しい。土手の道路は、複雑で、それでいて歩道を作りづらいんですよね。
というわけで、足利市の渡良瀬橋のときもそうでしたけど、ちょっと斜めになったところを歩く。
ここに、古河の渡しの跡がありました。
さすがに城下町。道はきっちり整備されています。
あっ、鵺|《ぬえ》の頼政神社ね。ここは参道だったんだ?人っ子一人いません。まあ、台風が来る水曜日の平日ですもんね。お前はなんでそんな時間にそんなところにいられるのか、っていうね。内緒です。
まずは、永井路子旧宅に行きましょう。
古河は、城下町だけあって、名所・旧跡・博物館・美術館がまとまっているのが魅力です。
永井路子は、歴史小説家。
女性を主人公にした歴史小説で有名ですが、あんまり最近はとりあげられないですね。『茜さす』とか、名作だと思います。古代が多いからかな?
元正天皇とか、この方の小説でしか、知りません。
そんな永井路子旧宅ですが、昔の商家のような日本家屋です。東日本大震災でダメージを受けながら、平成24年に再開、とありました。祝であります。
中まで入れるんですけれど、今日は、いろいろ回るので、いいかな。
街角美術館の角を曲がって、まずは文学館に行こうと思います。
鷹見泉石の出生の碑。
鷹見泉石は、天保期前後の洋学者で、杉田玄白から佐久間象山まで、幕府後期の西洋認識を代表する人の1人です。土井利位老中の片腕として働き、例えばこの間書いた日記の中に出てくる高島秋帆の軍事教練に、古河藩の藩士を見学させたりしています。
ちなみに、その泉石の子孫に『コドモノクニ』という雑誌を刊行した鷹見久太郎がおり、古河市文学館では、その特集がやっておりました。
このように、城のような雰囲気の空間に、文学館と歴史博物館があります。
平日だと誰もいなくて(営業的にはよろしくない、数名ご老人が散歩しておりました)気持ちいいですね。
文学館は、瀟洒な建物。
こぢんまりしておりますが、ササッと見るにはちょうどいい分量。
今回は、古河市ゆかりの文学者、永井路子特集、コドモノクニ、南総里見八犬伝の古河の4つがやられておりました。
中にはグランドピアノのある休憩スペースが完備されていて、ちょっと休むにはちょうどいい感じですね。撮影禁止なので、絵はありませんが。
3つの特別展示空間に分かれていて、一つが古河市ゆかりの文学者の展示。
さすがは城下町。逸見猶吉、和田芳惠(男性です)、永井路子、小林久三、佐江衆一といった人々が、展示・解説されています。
2つ目は、『コドモノクニ』にちなんだ展示。この雑誌に、武井武雄という作家が寄稿しているんですが、私は諏訪に住んでいたとき、岡谷市で武井武雄の記念館があって、それに何度か行っております。
今回、私は岡本帰一というイラストレーターに興味を惹かれました。
ちなみに、『コドモノクニ』に参加した作家の表が展示されていたのですが、1937(昭和12)年に横光利一の名前もありました。
一般的には、西條八十の童謡が、『コドモノクニ』では有名ですね。「あの町この町」なんかは、聴くといつもホラーを感じます。
どうして、童謡は郷愁とともにホラーを感じさせるんでしょうか。昭和40年代生まれは、角川映画で育ってしまったからでしょうか。
まあ、そんなことはさておき、南総里見八犬伝の古河の挿絵や浮世絵を見ることができました。犬塚信乃と犬飼源八の決闘、「芳流閣の決闘」シーンの浮世絵ですね。これは、いい。江戸時代から、私達はラノベなのです。胸アツですね。
さて、お次は、歴史博物館です。不思議な空間をたどっていく。途中、鷹見泉石のお家と、男装の南画家・奥原晴湖のアトリエのようなものが展示されていました。ことさらに「男装」を言い募るのも、よくないですが、奥原は関宿藩に嫁いで、女性は旅行禁止というくびきを逃れて絵画修業をした人でもあります。大河ドラマにどうでしょうか。
こころが落ち着きますね。
私は、昭和の向こうを探しているのかもしれない。
歴史博物館のエントランス。まあまあ大きくて、静かです。
今昔、古河藩のこと、鷹見泉石の洋学コネクションなど、楽しいです。
よく調べてあります。『鷹見泉石日記』、岩波文庫で現代語訳で出してくれないかな。ジョン万次郎なんかとも会って、アメリカ合衆国についての聞き取りをしたりしてます。海外のことをよくわかっていたから、開国に踏み切ったわけです。
特別展は、「うつす」というテーマですが、泉石の地図コレクションが並んでいて、おっとお、さすがと思いました。社会学者の若林幹夫さんの著作に『地図の想像力』(講談社メチエ)というものがありますが、地図は人間の世界認識を表象したものになるわけです。グーグル・マップのおかげで、私もまたグローバルな世界認識が可能になっている。なんてね。
昭和30年代の古河駅付近の写真が泣けます。私はまだ、生まれてませんが、戦後を感じさせます。羽子板で25歳くらいの若者が路上で一心不乱に遊んでいるのをみると、なんともいえぬ気持ちになります。
もう一つ、篆刻美術館というのもあるんですが、今日はパス。
お酒を買って帰ろうと思います。
古河の青木酒造さんです(魚沼にも青木酒造があるので)。
若いイケメンのお兄さんがお相手してくれました。
次代かしら、当代かしら。
古河の銘酒「御慶事」のひたち錦を使ったものを買いました。これの雄町はJALの国内線に使われているらしいです。それにも興味は湧いたのですが、二本は持ち歩けないし、二本も飲むチャンスはあまりないだろうし、ということで、味のベースになっている「御慶事 ひたち錦」を購入しました。
いつもよりは涼しかったものの、少し帰りつくまえに、休憩したいなと思い、Ocha Novaさんに寄りました。ほどよくレトロな室内は、縦に長く、奥に行くと四人がけの席もある。ここで、少し、書き物をしました。
外観が、ボロい民家のようなんですが、それがまた味になっていて。入るときに臆さないでくださいね。先払いです。
そんなこんなで、突然の雨に打たれて、行き先変更になった私ですが、ほんとに久しぶりの古河探訪で、こころ、整いました。
商業的に栄えてるのは、東口なんでしょうかね。
ではでは、カンパーイ。