ひとりでどこまでできるかな
こんばんは,不届きものです.
最近になり,多くの人々との別れが近づきつつある.
例えば長年の友人であったりともに戦った仲間であったり.
これは仕方がないことでどうすることもできない.
しかし,このままではどこかに出かけるときに常に友人とともに行動していた私は出かける機会が非常に少なくなってしまうわけだ.
本格的に趣味にしたかった釣りにも行けなくなるし外食もクレーンゲームもいけなくなってしまう.
ただ全大人がそうかと言われるともちろんそんなことは無い.
むしろひとりで行動できないような恥ずかしい大人は社会で淘汰され生きづらい毎日を生きていくことを余儀なくされているはずだ.
クレーンゲームの名所に行けば,いい年こいてひとりでクレーンゲームしている人間が,海に行けばひとり寂しく釣りをしているおじさんが多数いる.
彼ら彼女らはこの別れを乗り越え,独立し行動しているのだろう.
そして私もそうあるべきだ.
ひとりで何かをすることは余裕を生み,日々の生活を豊かにするだろう.
逃げ場を作ってくれるだろう.
そのため,ひとりで何かをできるように成長していきたいのだ.
ソロプレイというやつだ.
そこでまず,マクドなどファストフード店にひとりで行ってみたら良いのかなどとも考えてみる.
余裕で行けるだろう.
というか行ったことがある.そのときもマクドだった.
普通に注文し,普通に席に座り,普通に侍バーガー炙り醤油風ダブル肉厚ビーフを食しコーラを飲んだ.
非常に優雅な時間だった気がする.
ファストフード店は余裕だった.
そこで次は少しバージョンアップさせて長期滞在する飲食店を考えてみる.
これも余裕だろう.
というか行ったことがある.お好み焼き屋だった.
ひとりでお好み焼き屋に行き,ひとりでチーズ玉を焼き,ひっくり返すのを失敗した記憶がある.
そのときもなんやかんや一周回って食事を楽しめた.
次に釣りやゲームセンターなどにひとりで行けるかどうかを考えてみる.
余裕ではないがこれもしたことがあった.
ひとりでゲームセンターに行き,少し古めのストリートファイターを楽しんだ.ガンダム?のアーケードゲームをやっている人間から発される叫び声に臆することなくストリートファイターをやり遂げたときには我ながら素晴らしい輝きを放っていたと思う.
そして釣りもひとりで行ったことがある.
サビキ釣りでヒイラギを5匹ほど釣り上げることができた.
アジが釣れれば持ち帰りたかったが,釣れたのは外道と言われる彼らだけだったので逃がして帰った.
その日も一応魚が釣れたということもあり,楽しめたと言えるのではないだろうか.
ひとりで何かをするということは意外と大したことではないのではないだろうか.
周りを見てみるとやはり多くの人間はひとりで遊んでいるし,食事もしている.
居酒屋でひとりで寂しく飲んでいるように見えた彼も,内心はひとりでも楽しみながら飲んでいるのかもしれない.
こう考えるとひとりで何かをすることは恥ずかしいことなど一切なく,ごく一般的なものだというように考えられるのかもしれない.
ただ,まだ真実はわからない.
それを検証するために,ひとりでどこか遠いところに宿泊してみようと思う.ひとりで釣りもたくさん行ってみようと思う.
独立したクールな社会人を目指すのだ.