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最前線で子供と関わり、判断し、戦える教師になるための考え方

ランニング中に、よくYouTubeをラジオ感覚で流すのですが、そこで聞いた話がとても印象に残ったので、記事にしようと思います。

ヴィッセル神戸の大迫選手のエピソードです。
大迫選手は、フォワードとして何が優れているかについて語っていました。
身体能力や得点能力、ポストプレーなど、個の能力は確かに一流なのですが、それよりもフォーカスしていたのは、「統率力」です。
最前線で、前にいるメンバーに、開始10分までに何回も攻撃の指示を出しているのです。前線の選手がこのような指示を出すことは、サッカーにとってこれほど安心でき、頼れるものはないそうです。

指示を出すということは、勝利への責任を持つということです。その指示が的確でなければ、得点に結びつかなければ、それは指示した人間の責任におのずと結びつきます。誰も言わなくても、結果から見てそうです。ならば、できることなら責任を取るようなことはしたくないと思うのは人間として当然だと思います。それに、指示を誰もが出せるわけではありません。実績、能力ともに優れている大迫選手だからこそ、その指示を周りが受け入れるのであり、信頼関係が構築されていない相手から指示を出しても、おそらく言う事は聞かないでしょう。

この話を聞いて、学校ではどうなのだろう?と思うようになりました。

学校にとって、最前線は学級です。授業です。そこで関わっている学級担任が最前線で戦っているのです。学級が複数ある学年では、それぞれの学級担任が協力して学年運営を行います。学年を動かしていくのは、全ての学級担任でしょうが、その中で全体を動かすのは一体誰でしょうか?役割で考えるならば、学年主任でしょう。

しかし、1年生から6年生まで幅広い子供たちが過ごす小学校では、学年によらず、様々な活動や取組が行われます。子供たちも、日々、様々な姿を見せます。その時、その瞬間に、判断を下さなければならないこともあるのです。

例えば、1人の男の子の機嫌が悪くなり、物に当たり出します。ゴミ箱を蹴ったり、近くにあるモノを投げたりして暴れています。

この時、誰が、どんな指導をするのか、どんな対応をするのか…

特に、担任不在の時は、対応する教師は決まっていません。誰かが対応しなければならないですし、誰かが判断を下す必要があるのです。

そこで、「やろう!」「こうしよう!」という声かけができるのは、先ほどの例で挙げた大迫選手のように、最前線で働き、信頼関係が構築できている教師がおのずと対応し、判断を下すのでしょう。

・厳しく叱るのか…
・落ち着くのを待って、ゆっくり語りかけるのか…
・管理職を読んで、対応してもらうのか…
・強制的に抑え込み、まずはモノに当たる行為を止めさせるのか…

私は、できるなら、見て見ぬふりをしたいという心の底から感情が出てくることがあります。対応によっては、私自身が責任を負うことがあるからです。もし、強制的に抑え込み、ケガでもさせたらと考えると、尻込みします。また、厳しく叱って、逆上させでもしたらどうしようという不安に苛まれることもあります。

「誰か、どうにかしてよ…!」

恐らくですが、どの教師も考えることでしょう。こんな時に、自分の保身に走るよりも、大迫選手のように、チームの勝敗に責任を持ち、判断を下し、実際に行動できる人間でありたいと思うのです。

実は、上記のような子供の行動が2学期にありました。私は、強制的に抑え込み、モノに当たる行為を止めさせることを選択しました。自分の苛立ちをモノに当たる行為は、人としてしてはならないことだからです。

私は抑え込み、「イヤなことがあったんなら、モノに当たらずに言葉で言いなさい!」と繰り返し伝えながら抑え込みました。すると、自然と動きが止まり、私の話に耳を傾けるようになってきたのです。

見て見ぬふりもできました。特に、私は通級指導教室担当なので、関わりとしては遠い存在です。

その後、「あの後、どうだった?」と聞くだけでも十分でしょう。

しかし、誰もが手をこまねいている状況で、成功するかどうかは分かりませんが、自分の判断を信じて、行動することが重要ではないかと考えます。

大迫選手のように、私なりに、最前線で子供と関わり、判断し、同僚の先生方へ指示ができる教師でありたいと思うようになりました。

今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださりありがとうございました。

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