成長したからこそ、モチベーションが上がる ~その順番を間違えてはいけない~

リーダーの役割は、部下たちのモチベーションを上げることではなく、成長させることであるー

リーダーの仮面 「いちプレーヤー」から「マネジャー」に頭を切り替える思考法を読み、考えたことです。

なぜ、私がこの本を手に取ったのか?それは、私の教師としての理念として、「教室は、会社である」ということです。

教師は子供たちを束ねるマネージャー・リーダーであるということ。だからこそ、マネジメントの基礎について理解し、実践できることは必要不可欠なスキルであると思うのです。

「教師の資質・能力以上に、子どもは成長することができない」

初任者研修で、講師から何度も聞かされた言葉です。教師の資質・能力とは、一体何なのか?当時は深くは考えず、とにかく授業力・学級経営の向上に努めてきました。

常に教室へいて、子どもを監視していました。
宿題をしてこない子、学習に困難さを抱えている子たちを手取り足取り指導していました。
全て私が敷いたレールの上を歩かせようとして、そこからはみ出す言動をするい子どもは許さない学級の雰囲気を作り出していました。

すべて、リーダーとして、マネージャーとして失敗を犯していたことに、この本を読んで気づきました。

リーダーの失敗は、大きく分けて2つのパターンがあります。ひとつは、細かく指導しなければと思い、「もっとこうすれば?」「じゃあこうしてみようか?」と、手取り足取り指導する人。
もうひとつは、「俺の背中を見て覚えろ」と言わんばかりに自分がプレーヤーを続け、部下についてこさせようとする人。
実は、どちらも最悪なパターンです。
前者は優しくていいリーダーに見えますが、メンバーが思考停止し、成長しません。後者も、できるリーダーのように見えますが、実はリーダーとしての責任を放棄し、役割を果たしていません。

リーダーの仮面 P12、P13

常に、手取り足取り指導し、教師のレールの上を歩かせること、「俺の背中を見て覚えろ」と言わんばかりに常に教室にいて監視するということ、全てがリーダーとして失敗している状態と重なります。

不安なのです…!

「私が見ていない所で、いじめが起きていないか?」
「学習が分からないまま家庭へ帰してしまっていいのか?」
「教師としての威厳を保ち続けなくてよいのか?」
「子どもが、私へ反抗を示して来たらどうするのか?」

不安と恐怖から「いい人」になろうとしていました。リーダーの仮面をかぶり、いい人に対する美徳を捨てなければならなかったのです。

では、どうればいいのか?

リーダーは、成長させることができる存在であるということです。

逆を言えば、成長へと導くことができないリーダーは、部下はついてきません。

例えば、夜に飲みに連れていってくれるリーダーがいたとします。部下は、

「悩みが愚痴を聞いてくれて、優しいな~」
「やった、奢ってくれる!いい人だな~」

なんて思うことでしょう。しかし、これがずっと続くと

「またかよ…。なんで、プライベートの時間にまで、リーダーと一緒にいなきゃいけないんだよ…」

という思考へと変わっていくことにもなりかねません。

教師も、これと同じ現象が起きる場合があります。
教師が子どもに気さくに話しかけたり、一緒に遊んだりすることを心掛けることは大切です。しかし、それが続くと、子どもは教師を「話を聞いてくれる人」「一緒に遊んでくれる人」で終わってしまいます。すると、教師をリーダーとして見なくなるのです。対等の存在として捉え始め、ため口になったり、過度な要求を通そうとします。そこで指導を入れても、「え~、いいじゃん!」と反抗的な態度で押し通す子どもも出てくるでしょう。

例え、普段から話を聞いてくれなくても、いつも一緒に遊ばなくても

「この先生は、自分たちを成長させてくれる」
「この先生の授業を受けていれば、勉強が分かる。テストの点数が取れるようになる」
「この先生の言うとおりにすれば、クラスが明るく楽しい雰囲気になるな」

などと教師が子どもへ実感させることができれば、自然とついていきます。

同僚に、朝や昼休みは職員室で過ごす先生がいますが、子どもたちからは尊敬の眼差しで見られ、実際に授業も上手でクラスは当然落ち着いています。その要因として、この先生についていけば、成長させてくれるという意識があるからなのではないかと分析しています。

通級教室に通う子どもの1人に、昨年は離席や暴力・暴言、教室外への飛び出しを頻繁に起こしていた子がいます。今年は別人かのように落ち着いているのです。その子に、担任のことを聞いてみると「今年の先生は、授業が上手で分かりやすい」と話しています。成長へ導いてくれる先生、そして、実際に自分自身が成長したと実感できる先生だからこそ、教室でも落ち着いていられるのでしょう。

教師は、子どもを成長へと導く存在でなければなりません。潜在的に、すべての子どもは成長を望んでいます。素直で純粋だからこそ、教師の言うことを聞くかどうか、選んでしまうのです。「この先生のいう事なんて聞くか」と思われてしまったら、その時点で子どもの成長は止まってしまいます。それどころか、教室が荒れるのが容易に予想できます。

尽きる所は、主体性です。子供たちが主体性を持ち、学ぼう、思いやりを持って生活しようという思いを高める指導や支援ができているかどうかが、成長へと導く教師であるかどうかの分かれ道なのです。

主体性があれば、成長を感じることができるでしょう。一方で、常に監視され、手取り足取り教えられても、それは全て受け身です。主体性とは真逆であり、そこからは成長を感じることは難しいのではないでしょうか。

させられている感覚からは、真の成長は生まれません。

リーダーの役割は、部下たちのモチベーションを上げることではなく、成長させることであるー

「成長したからこそ、モチベーションが上がる」のです。その順番を間違えてはいけないのです。

日々の多忙な業務の中で毎日をこなすことに精一杯な学校現場ですが、教師も子どもも保護者も幸せでWinWinな関係でいるためには、教師の姿勢が大切になってくると、ひしひしと感じている今日この頃です。だからこそ、学校を会社として考える思考法が、大切になってくるのではないでしょうか。読んでくださった皆さんの参考になれば幸いです。

今日の記事は以上になります。
最後までお読みくださりありがとうございました。

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