頑張っていない人と同じ進路、嫌だって思ってない?-来春から明るい気持ちで人生を歩めるための3つの解決策-
3つの例
大学に落ちたAさん
就活中のBさん
就活を終えたCさん
なぜ自分より頑張っていない人よりも、就活がうまくいかないのか。 なぜ自分より頑張っていない人と、同じ大学なのか。 要領、運、地頭、環境・・・考えられる要素はいくつもある。
今回はこの小さい苦悶に囚われた時の解決策を3つ提示したい。
それぞれを通して、どこかあなたの中で納得のいく解決策があると嬉しい。
この悩みから解放されることを願います。
3つの解決策
1,他人の頑張りを評価できないことを知る
A、B、Cさんに共通して、主観で他者の頑張りを評価している。
このように眼に見える範囲で勝手に人全体を評価する姿勢を改めた方がいい。
あなた自身に誰にも見せていない一面があるのと同様に、他の誰にだってあるものだ。
だから、一面から評価するのを辞めて背景まで想像するべきだ。
かも知れない、で相手を過大評価しよう。
こう考えると、むしろ、そんな人たちと同じ進路にいることを喜ばしく思えるのではないだろうか。
2,立場を変えて考えてみる
立場を変える。
あなたよりももっと頑張ったけど、全然結果が出ずにあなたよりももっと納得のいかない結果を手にした人の立場となって考えてみるべきだ。
就活浪人を決めたDさん
Dさんの立場になって考えると、Bさん、Cさんが自身よりもそれほどの努力をしていないのにも関わらず、良い結果を手にしたように見えてくる。
「頑張った人」はもっと頑張った人から見ると「私より頑張っていない人」になる。
頑張っていない人が結果を手にした。と思い込み、腹が立っている自分自身も、ある一面から見ると頑張っていない人が結果を手にしている状態なのだ。
3,運を貯めていると解釈する
私は才能や要領も運だと思っている。
それらは、過去に経験した何かがハマって能力につながっているものだと思っているからだ。
だから、たとえば、就活がうまくいかない理由に「言語化する能力がない」ことがあったとして、「言語化能力がない」こと自体も運だし、そのことに気がつき、言語化能力をつけるよう努力できるか、も運だと思っている。
なぜなら、言語化能力はコミュニケーションの中で鍛えられるため、その機会があるかどうかの運であるし、気づけるかどうかは、振り返りの習慣があるか、そのきっかけとなる情報を得られるか、という運だからだ。
つまり、手にするものは全て運によるものなのだ。
ここからは、更に怪しく感じるかもしれないが、最後までついてきてほしい。
私は上記二つの文献に触れた時、ある都合のいい解釈に気がついた。
運は努力しても結果が実らない時に蓄積されること
今世の行いで来世の運が定まること
つまり、今の虚しさは来世を含めた未来で運を使うために貯めている行いであると考えられるということだ。
まとめると、私なりの解釈はこうだ。
もちろん都合よく解釈した「偽物の宗教」ではあるが、こう考えると、今の努力が実らなかったことを前向きに捉えられると思う。
今の悔しさ、虚しさは来世を含めた未来の自分の運を貯めているのだ、と思えば納得できるのではないだろうか。
最後に
ここまで、人には言えない感情をうまく飲み込む考え方を紹介した。
紹介した3つの解決策で膝を打ち、人生を前向きに歩んでくれる人がいたら嬉しい。
しかし、そもそも、頑張ったのにアイツよりも下、といった考え方は大学や会社をブランドとしてみていることの表れだと言う点に触れておきたい。
人の目的を幸せになることとした時、社会の中の自分の立ち位置など取るに足らないことだ。
既に社会に根付いてしまっているこの価値観から抜け出すのは難しいが、一歩踏み出して、自分自身の人生に焦点を当てると自然と気にならなくなるはずだ。
自分自身の文脈で自分自身の生きよう。
後書き
今回は私が人生で経験した過程までの事例に対する解決策のみしか提示できなかった。社会人として生きている方にとって、解決策を応用できるのか、そうでないのか、ご意見いただけると嬉しく思う。
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