石を退かしたら虫がいた。『ルビンの壺が割れた』を読んだ。

・『ルビンの壺が割れた』を読んだ。平積みされていたから分からなかったけれど、手に取ってみるとずいぶん薄くて、それが決め手で買った。読んでみると、このルビンの壺が割れたは薄いのではなく、必要なことを必要なだけ書いた結果がそのまま表れているのだと分かった。

・「結城未帆子様 突然のメッセージで驚かれたことと思います。失礼をお許しください。」この小説は水谷一馬が結城未帆子へフェイスブックを通じてメッセージを送ることから始まる。
 僕はこのメッセージが第0章的なもので、これから本編のサスペンスが始まるのだと読みながら想像していたけれど、一向に地の文が出てこない。結城未帆子は普通にメッセージを返信して、それからやり取りが始まって、小説の最後までメッセージのやり取りだけで物語が進行していき、終わった。だからこの小説には情景の描写が存在しない。この小説は2人が大学の演劇サークルのことをメッセージを介して回想するだけの小説なのだ。このような形態の小説のことを書簡体小説と呼ぶらしい。

・水谷一馬と結城未帆子にとって演劇サークルの出来事は30年前のこととされている、そのうえで文面上のやり取りという条件が重なっている。だから2人のやり取りはあくまで冷静に交わされて内容は整理されていて、演劇で優秀な成績を残したことや横領や不倫や結婚式に現れなかったことなどが「こんなこともありましたね」くらいの温度感でやり取りされている。巻末にある担当編集者による付記にはこの小説の印象が目まぐるしく変わることを「万華鏡のような作品だ」と評している場面があるけれど、それは重大な出来事を重大ではなさそうにポンと表しているからこその感想なのかもしれない。
 この小説は30年前に終わったことをメッセージという形でやり取りする小説で、それは水谷と結城にとっては回想という形式をとっているけれど、読者にとっては伏線なしで新しい情報がどんどん追加されていくような形になっている。だからこそこの小説は万華鏡のように印象が変わっていく。

・この小説が万華鏡のようであるという巻末の感想には賛成しているが、しかし、この小説の登場人物がそのとおりであるとは思えなかった。石を持ち上げると湿った地面に虫が沢山いた、とか、板を剥がすとカビだらけだった、みたいな印象の変わり方だった。好感度が高い状態からさらっとゲロカスみたいな人格を付与されるからビックリする。

・人間に良い面と悪い面があることは言うまでもないことだけれど、心の潔癖な部分が人間の悪い面に拒否感を表してしまう。『ルビンの壺が割れた』は小説だから良い面も悪い面も強烈な個性をもっているのだけれど、特に良い面を描くことが上手だった。それは主人公に尽くすという形で現れていたような感じがした。

・直角みたいな小説だった。

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