臨死体験

2001年31歳の年に9月、10月、12月と1年間に3度も臨死体験をしました。

生まれつき甲状腺の難病持ちなので幼い頃から不正脈になりやすかったのですが、仕事による過労で不正脈が悪化して2001年9月に心臓が停止してしまいました。

雨や台風が近づいて来ると低気圧の圧力のせいで、頭の方へ血液が流れにくくなるのか意識が朦朧とし、心臓が圧迫されて息苦しくなりその酸素不足のせいで意識が薄らいでいくというような状態にいつもなりますが、その日もそうでさらに疲れていたのもあり自宅の部屋のベッドでゆっくり寝転んでいました。すると心臓の脈がどんどん弱くなりゆっくりと消えていくと呼吸ができなくなって頭の中が真っ白になり意識が遠のいていきました。 

家族が救急車を呼んだらしく、病院で心臓が少しの間停止していたそうで、目が覚めた時には病院のベッドにいましたが、意識を失っていた間の救急車に乗せられたり病院での記憶は全くありません。しかし、あれから23年経った今でも意識を失っていた間の臨死体験の記憶はとても鮮明に覚えています。

呼吸と脈が弱くなりすーと意識が遠ざかり頭の中が真っ白になっていく時は、苦しみはもはやなく、逆にそれまで体験したことがないような究極の至福感で満たされとても気持ちよくなり、そのまま眠っていくという感じでした。

すると、目の前の景色が変わり、そこは自宅のベッドの上ではなく自然豊かな草原のような場所で、その数年前に亡くなったとても可愛がっていた犬と散歩をしているのでした。リードを持っているのですが、その犬がものすごい力で引っ張り前進するのでただ連れて行かれるしかなく、周りの素晴らしい自然豊かな風景の中を散歩し歩き回りたくてもそうすることもできませんでした。

その場所は私がとても好きな自然豊かな風景が広がっているところでしたが、なぜか何か少し怖いような違和感を感じて不安になる不思議な場所でした。興味をそそられる素晴らしい風景でしたが、そこで歩き回るときっと迷って出られなくなる、というような怖さを感じる根拠のない確信がなぜかあったのです。

それでも好奇心から少しその場所を見て回りたいという気持ちが湧き上がると、そんな私の気持ちを察するかのように、「ここはダメだよ、歩き回ったら出られなくなるよ、こっちだよ。」と言うように愛犬は黙して私が抗えない程の力でぐんぐん引っ張り前進し続けるのでした。

しばらくすると木々の中の真っ黒いトンネルの中に入って行こうとするので少し怖くなりましたが、全く抗えないのでそのままそのトンネルに入るしかありませんでした。
するとすぐに何もない真っ白く光り輝く場所に出ました。そこは先ほど通ってきた場所で感じたような怖さや不安さの違和感は全くなく、ほっとできる安全な場所だと直感でわかりました。愛犬は消えていなくなっていました。きっとこの場所までの道案内をしてくれたのだと思い感謝しました。

どこまでも真っ白く光輝く風景が広がっていて何もないのですが、そこはとても心地よく安心できる場所でした。そして目の前にゲンコツ大の丸い石が広がる川べりが見えてきました。
私はなんの躊躇もなくごく当たり前のように、すぐにこちらの川岸を飛び立ち、あちらの川岸へと飛んで行きました。

歩いているのではなく飛んでいるということに何の違和感もなく、飛ぶことが当たり前のような感じでした。
この時には自分の肉体はもう自分の視界からは見えなくなっていました。しかし、そのことは全く気になりませんでした。
さらに、過去の記憶は一切なく、過去や未来という概念もなく、ただ今ここの瞬間瞬間をめいいっぱい楽しんでいる状態でした。

真っ白に光り輝く空間、その光をキラキラ反射する純粋な透き通った川は、ゲンコツ大の川底の石がよく見えるほどきれいな水で、感動で満ち溢れました。

重力を感じることなく自由にビューンと飛び回れる爽快さ、見たいと思う方向を360度自由に見渡せる楽しさ、至福に満ち溢れる心地よさ、ただただ楽しい、そんな状態であちらの川岸へと真っ直ぐに飛んで行きました。

しばらくすると、誰かが後方から呼ぶのでした。はっきりした声や名前を呼ぶ声が聞こえたわけではないのですが、私はふっと振り返ったのでした。

すると、辺りは急に真っ暗闇になり、高いところから急降下するようにとてつもない勢いで落ちて行きました。それはとても心地悪い嫌な感じで、私は恐れと不安でわーと叫んでしまいました。ズドーン!ものすごい衝撃で床に叩きつけられました。そして真っ暗闇から目が覚めると、看護師さんに名前を呼ばれていました。

目が覚めて最初に思ったのは、「重い、動けない。」でした。
先ほどのように重力を全く感じないまま自由に軽やかに動くことができなくて、とにかく重くて動けない不便さにがっかりしたのでした。
先ほどは痛みも苦しみも一切なくただただ楽しい至福感でいっぱいだったのに、肉体はとても重くて、しかも痛みや苦しみがある不快感でいっぱいでした。

あーまた戻って来てしまった、生き返ったんだな…という残念な気持ちでいっぱいになりました。

こんなふうに、この年は9月、10月、12月と3度も心臓が停止して、3度とも臨死体験をしました。
3度とも愛犬によってあの不思議な自然豊かな風景が広がる世界(4次元の世界)を迷うことなく一気に走り去ることができ、真っ白に光輝く世界(5時元の世界)の入り口に辿り着き三途の川を飛び渡り始めたという同じ体験でした。

これは後で知ったことですが、4次元までがこの世で、5次元から先は神の領域といわれるあの世であることもこの体験からわかりました。

私の現世は幼い頃から辛いことがたくさんあり、肉体を持って生きていくことが苦痛でしかなかったので、臨死体験の最初の2回で生き返った時は、死ねなかったことによる絶望感でいっぱいでした。
それなのに臨死体験3回目では、生き返り目覚めた時に、「生き返らせていただいて感謝しています。」と言ったのでした。

その瞬間、光り輝くお釈迦さまが現れました。
遠くにいるのですがものすごく大きな姿で、光が強すぎて足元しか見えないのですが、なぜかそれは確かにお釈迦さまだとわかりました。

黙さずただ立っているだけでしたが、私にはお釈迦さまが私を導いてくれたことがはっきりとわかりました。
「とても遠いけどお釈迦さまの足元まで行ってみよう。」
そう思い決心したのでした。
これが今思うに、私の現世での新たな旅の始まりとなりました。
それはいわゆる 魂 soul の旅です。

もう少し詳しく話すと、魂 soul が生まれてから前世までの 魂 soul の旅の続きを、現世で再び始め、目的地である 光明 enlightenment が起こるまで一歩一歩歩み続ける、という旅です。

人を含めた全ての生き物はみな、光明 enlightenment が起こる(悟りを開く)まで、何度も繰り返し生まれてくる(輪廻転生)のだそうです。
そして 光明 enlightenment が起これば、物質世界を生きるつまり肉体を持って生きる学びが終わりますから、2度と古い肉体から新しい肉体へと生まれ変わる輪廻転生をする必要がなくなります。

3度の臨死体験後、現世生まれて来た 魂 soul の目的をはっきりと思い出したことで、自殺願望が弱まり、自分自身を大切にし癒しながら一歩一歩生きて行こう、と気持ちが大きく切り替わりました。

仏の顔も三度まで、と言われますが本当にその通りで、3度も心臓が止まり生きるか死ぬかのギリギリのところで、お釈迦さまが私を導いてくださったのでした。

「今のままでもよいのか?このまま死んでもよいのか?」

というような無言のメッセージを感じたのでした。

仏の顔も三度まで、ということは四度目はない、ということですから、3度目の臨死体験で大切なことに「気づく」ことができずに、自分の人生の軌道修正をしようとしなければ、また現世も 光明 enlightenment が起こらないまま死んで、また来世へと生まれ変わる輪廻転生をしてしまうことになります。

しかし、2001年31歳の臨死体験から14年後の2015年1月13日44歳の時に、宇宙意識と1つになるという 光明 enlightenment が起こりました。

光明 enlightenment が起こって初めて、それまでの辛く苦しい人生の意味がわかったのでした。
全てがあらゆる二元性を体験する学びであり、二元性を体験したからこそ、一元性が何であるのかわかったのでした。

たとえば…幸せの中だけにいても、幸せが何であるのかよくわかりませんが、不幸を体験することによって、幸せがどういうものかがはっきりとわかったりします。

光明 enlightenment が起こる(悟りを開く)というのは、光の中だけにいても、光が何であるのかがよくわかりませんが、暗闇の中を体験しそこから光を見ることで、光が何であるのかがはっきりとわかる、というようなことです。

全てに宿っている 命 life の源である 魂 soul は、愛 love と 光 light の無限のエネルギーです。
それはこの宇宙の源でもあり、中庸という一元性の状態です。
宇宙の源は、愛 love と 光 light が何であるのかを知りたくて、自身の 光 light の一雫をある肉体の中へと入れます。
なぜなら、肉体の中に入っている時だけしか、二元性の状態を体験することができないからです。
つまり、喜怒哀楽の全てを体験し、そのあらゆる二元性の陰陽2つの極の異なりを体験することで、その2つの極のちょうど真ん中である中庸(一元性)の状態が何であるのかがわかるからです。

確かにそのとおりなのですが、光明 enlightenment が起こった後に思ったのは、
「こんな苦しい体験(暗闇)はもう2度としたくない。」でした(笑)。

しかし、苦しみの体験(暗闇)をしたからこそ、同じような苦しみを持っている人たちの気持ちがわかり、見て見ぬふりをするのではなく、何とか助けようとする慈悲が湧き起こってくるものです。

より大きな思いやり・慈悲 compassionとは「苦しみの理解」なのだそうです。

人間は3つの愛を学び 光明 enlightenment へと至るそうです。
まず最初に肉体と肉体がつながり1つになる愛、
次に心と心がつながり1つになる無条件の愛、
最後に魂と魂がつながり1つになる慈悲の愛。

今ではいろいろと学べてよかったな〜とは思いますし、その学びの過程も理解はできますが、苦しみの体験はもううんざりです(笑)。

少し余談ですが…
光明 enlightenment が起こった瞬間、それまでの 魂 soul の旅の記憶が走馬燈のように流れて見えました。
その中で今から約2500年前、私はお釈迦さま、つまり गौतम बुद्ध Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ に弟子入りし、あのマンゴー果樹園の木の下で他のお弟子さんたちと一緒に 瞑想 meditation をしていました。

瞑想 meditation は現世でも大好きで、何の違和感もなくすんなりできるようになりました。
そして 瞑想 meditation をとおして 光明 enlightenment が起こりました。

3度目の臨死体験後に光輝くお釈迦さまが現れたのは、約2500年間ずーと弟子である私を導き続けてくださっていたからかもしれません。

あれから約2500年経ってやっと 光明 enlightenment が起こることができました。
やっと物質世界を卒業し離脱することになりました。それは輪廻転生は2度と起こらないということです。

仏の顔も三度まで…
3度目の臨死体験で大切なことに「気づく」ことができて本当によかった…

お釈迦さま、つまり गौतम बुद्ध Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ は、王である父親が3度殺されそうになり、その敵に殺さないでほしいと頼み3度父親の命を助けたそうですが、父親が自身の欲深さに気づかず殺されることになる原因をやめようとしなかったため、それも父のカルマだから仕方がないと理解し、4度目に父親が殺されそうになった時は敵に父の命を助けてくれるように頼むことはしなかったそうです。その結果、父親は殺されたそうです。
簡素に説明しただけですがこれが仏の顔も三度までのお話しです。
四度目はないのです。

3度も臨死体験をするまでなかなか気づくことができないほど、愚かな状態であったにもかかわらず、約2500年間も根気よく見守り導き続けてくださった私の魂の導師である गौतम बुद्ध Gautam Buddha ゴータマ・ブッダ に本当に感謝しています。

そして現世のもう1人の導師であるOshoにも本当に感謝しています。

そしてこの光明 enlightenment が起こったことによって、インディゴチルドレンとして生まれた私がクリスタルチルドレンへと変容することになり、スターシードとして地球へ生まれて来た現世 の使命を果たしていくことになりました。

以前投稿した「2025年7月問題について」の記事にも書きましたが、臨死体験後に出会ったあの光の存在の宇宙人は、すでに肉体を持ってはおらず、魂 soul だけの 愛 love と 光 light の存在でした。
魂 soul というのは 愛 love と 光 light のエネルギーであり、宇宙意識でもあります。

光明 enlightenment が起こると、エゴ(欲・自我)ego が消え去り、魂 soul イコール 意識 consciousness、つまり宇宙意識で生きるということです。

ですから、あの光の存在の宇宙人も、すでに 光明 enlightenment が起こった存在だったことが、自身の 光明 enlightenment 後にわかりました。

ですから、UFOに乗って地球の未来を見せるだけでなく、私を 光明 enlightenment へと導き、共に宇宙意識で生きて地球での使命を果たす方へとサポートしてくれたのだとわかり、今では本当に感謝しています。

以前3つの記事でお話しした、宇宙人に出会ったことも、幽体離脱の体験も、臨死体験も、「魂 soul は存在するんだ」ということが確かであることがわかった体験だったり、オカルト的なこともまだ少し苦手ではありますが、なかったことにするのではなく、それも現実としてあるんだ、ということがわかったのです。
今現在54歳ですが、それがわかるまでにこんなに時間がかかりました(笑)。

これも世界中のみなさんが、ご自身の不思議体験をインターネットなどの媒体を通して分かち合ってくれているおかげです。
「人は死なない」の著者でもある矢作直樹さんが元お医者さんでもあるのに、魂は在るとお話しされていることが、特に多大な勇気を与えてくださっていて本当に感謝しています。

冥王星が風の星座である水瓶座に入ったこともあるからなのか、最近特にインターネットが主要になると言われている風の時代の勢いを感じています。
何のお役に立てるかどうかわかりませんが、みなさんの勇気に後押しされながら、少しづつ不思議体験を分かち合っていこうと思っています。
ここまで読んで下さってありがとうございます。

बोधि bodhi ボーディ शून्य śūnya シューンニャ

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𖤣𖦥𖤣 शून्य śūɴʏᴀ 𖤣𖦥𖤣
ありがとう(ᴗ̤ .̮ ᴗ̤ )