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移住に向けての話 2

はっとした理由。

出産を経て、こどもの離乳食が始まるよというころ。

こどもが食べるもの。口にするもので身体が作られていく。なのにその【食べ物】の正体がわからないままあげていいのか。そこにふと疑問が沸いて、その疑問をどんどん調べていくうちに、食品添加物のこと、自然派という考え方、オーガニックのことなど、疑問に思っていたことの答えとともに知識がついていって、さらには幸福度が高いとか暮らしやすいとか健康とかいろんなところに目が向いてしまった時があった。(すっごい大変でした、調味料とか産地とかめちゃくちゃこだわりはじめたので、旦那も呆然)

結果的にすごくよかった。

世界一しあわせな国の教育の話というイベントでmormormorという女性の3人組を知った。今ももちろん活動されている。世界でいちばん幸せな国といえばデンマークと言われている。

そのユニットの一人で、レッジョエミリア教育のアトリエスタとして仕事をしている人がいる。レッジョエミリア教育はこどもたちの感性のまま疑問を長期的に追及していく。社会性と、時間とこどもたちの権利のもと。そしてその疑問を教育専門のペタゴジスタと芸術専門のアトリエスタで解決に向けて適切な空間と空気を作っていく。

そのアトリエスタとして働いている人の話を聞いたときに、こどもには芸術が必要だという考え方、教育の方針に感銘を受けた。だからカリキュラムがない、縦割りのモンテッソーリ教育を取り入れた幼稚園に入園させた。

まわりは従来の幼稚園。バス通園、給食あり、習い事や行事もたくさんある。そんな中でほぼ真逆の幼稚園。

こどもにはこどもの世界がある。おとなの当たり前を押し付けず経験をさせていく。そうしたなかでこどもは自ら考え人を思いやる子に成長してくれたように思う。とはいえ、根っからまじめな娘はしっかりとした性格の持ち主なので普通の小学校に進学したらきっと右向け右の教育に染まってしまう。

それ、なんかよくない気がする。

絵をかいても、同じような書き方を教えられ、コンクールに入賞するような絵の構図を教えてもらい描く。きちんと座って話を聞き、字を書き話を聞く。座っていられなければ問題だといわれ、話を聞けなければ発達に問題があるといわれる。たった数分の休憩時間で頭を文系から理系に切り替えて知識のみを頭に叩き込む。

そうした教育を経て、いざ自分の将来を決めるためにやりたいことを探して、見つけ、それらが学べる場所に行こうとすると、自分らしさが求められる。いままで足並みをそろえて、平均を強いられ、得意のばすよりも不得意を補う教育。

お か し く な い

きちんとできることが悪いとか学校行ってるのが悪いとかじゃない。自分も普通の公立の小中高卒業したし、それぞれでいろいろあったけど、楽しかったのも事実。ただ、私が専門学校に行ったとき、思いっきり個性が求められる環境で、最初はどうしたら差別化できるのか全然見出せなくてすごく大変だった。性格もあると思うけど、きっちりやりすぎてきた私は自分らしさがまったくわからなかった。

その経験もあったからこそ、こどもの、特に幼少期から7,8歳までの教育は大事だと思っている。7歳ってシュタイナーでもモンテでも、こどもの土台になる年齢って言われてたように記憶してる。

そんな思いもあって、ただ学区内だからっていう理由で小学校に入学するのってどうなんだろうって思った。

こどもには五感をフルに使って生きていってほしくて。それはたぶん今住んでいるところじゃできないかもしれない、じゃあどこがいいんだろうって思ったときに、きちんと探そう暮らしていけるところを、っていう思いで


【移住するのってどう?】

につながったわけです。