何かを達成した瞬間の喜びって特にないよね

簡単な自己分析的な記事を書く。1、2分で読めると思う。

こういう感覚の人って他にもいると思うのだが、何か物事を達成した瞬間って特に喜びがない。

例を挙げてみると、多くの人に立ち塞がるものとして分かりやすいのは受験勉強とか。

点数を上げるために勉強に没頭している瞬間が一番気持ちい感じがするというか。それによってテストの得点などの数値化された短期目標を達成するのも気持ちいい。

ただ、最終目標である合格が決まる瞬間というのは驚くほどつまらないものだ。「ああ合格してたか」と。

別に手を抜いていたわけでもないのに本当にそんな感じ。あの瞬間に涙を流して大喜びする人が本当に疑問で仕方がない。一般的に考えれば当たり前のことなのかもしれないけど。

お世話になった先生などにも「嬉しいだろ?」と言われるけども、ホッとした感じはあるが正直その言葉に素直に「嬉しいです!」というのは心の中に大きな違和感があった。

達成の瞬間に喜びがないなら自分のモチベーションを保っていたものの正体とはなんなのだろう。

多分自分の中に絶対的な喜びの指標があるというよりは常に横に誰かがいたから頑張れた気がする。

それは一緒に頑張ろう的な誇れる意識ではなく「こいつよりも勝ってやる」みたいな負けず嫌い精神剥き出しの意識。

私の趣味はテニスや将棋だが、自分を分析してみるとそれにハマる理由も同じだ。

個人技によって自分の実力を相手よりも上だと証明する瞬間。それを証明するためにもがいて必死になっている一瞬。あれが追い求めている快感なのだ。

今日の注目ニュース

意外と希望者が多いように思う。配送料は負担するためまたも配送料がかかるじゃないかとの批判も浴びそうだ。転売禁止との話だが、もはやマスク不足ではないのでいっそのこと許可してしまった方が誰かが上手いこと捌いてくれるんじゃないかとも感じた。配送料が国負担だといくらでも高くなるので、転売ありで配送料は貰う人負担や取りに来てもらう形とかはどうだろう。

日本は数十人でも「少し増えてきた」みたいな感じだが、もはやアメリカは桁違いの感染者が発生している。ただ、だから厳格なロックダウンを行なっているかというとそうでもなく、むしろ規制は緩和されている方向性だ。日本もこの規模で感染者数が増えてきた時に医療が耐えられるようにしてほしいものだが、実際どうなのだろう。

イギリスやアメリカは最初オミクロンに対して水際対策を取っていたが、いずれも入国制限を解除する方向に動いた。おそらく、水際対策をしてもどこかしらか無症状の感染者などが漏れてしまうので意味がなくなるのだろう。日本もチラホラと感染者が出てきているので時間の問題だろうか。そもそもオミクロンが特別重症化する割合が多くなければ良いのだけども。

5Gと言われてから結構時間が経っていて、最初は2020年の五輪でその技術が発表されるような感じだったので思ったよりも普及していない印象がある。今のところは普通にスマホで使おうとしてもエリア整備が完全ではないために使えなくなるといった問題が起きていて微妙そうだ。個人的にはスマホで使うのに今の速度で結構十分でそんなに外で高画質の動画見たいかとかは微妙な感じがしている。むしろ、基本的に外では通信量を節約したいし。自動運転やIoTなどの分野において企業からは求められているようだ。

もはや将棋のプロの戦いはAIをいかに上手く活用できるかの戦いになってきている側面もある。もちろんその性能が全てではないが厳密に言えばより高性能な方がより良い手を発見できることもあるだろう。様々なマシンで検証をしてどれがより高い精度の手を発見できるのかの調査は面白そうだ。また、AIも常に進化し続けていてそのAIとの相性もあるので、「何が一番強いか」は将棋がある限り常に需要がありそうだ。

最近はこうした様々な無人販売サービスが増えてきている印象だ。例えば、全国的に餃子の無人販売店も増えている。その流れを受けて無人販売も多様化してきているのかもしれない。しかし、自販機だからと言って売れてしまうのは少し不思議さもある気がする。ネット通販じゃなくてあえて自販機で売るというのがポイントなのだろうか。

今日の一言

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今日のパスタ。ちょっとニンニク入れすぎたけどなかなかパンチ力があって美味かった。味付けはネギ塩って感じ。小松菜とかエノキとかベーコンとか何入れても合いそう。

それではまた明日〜。

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