食本Vol.9『デザートの歴史』ジェリ・クィンジオ
☆デザートへの向き合い方が変わってしまうかもしれない本
どんなモノやコトにも生まれてきた理由や歴史があります。
でもこの”デザート”についてはあまり歴史を意識しないモノだったと思います。この本に出会うまでは。
だって、目の前にデザートが現れた途端、ついテンションが上がってしまい、無心になって至福の時に浸ろうと思ってしまいますから。
でも実はデザートが今のような位置づけになるまでには波乱万丈の歴史があったのです。
表紙からもうあま~~い。
☆それは中世から始まった
デザート、と言うと食事の締めくくりにいただく甘いもの…そんな認識が一般的です。
別にレストランなどでの豪華な食事の後のデザート、というだけでなく、家庭でも食事の後におかあさんが「デザートいかが?」などと言ってプリンやゼリー、ちょっとした菓子類やフルーツを出してくれたりなんていう子供の頃の思い出がふと浮かんだりします。
でも、実はもともとはデザートとは、食後にいただくそれとは全くの別の目的を持つものだったようです。
それは中世のヨーロッパに遡ります。
16世紀の砂糖精製の様子を描いたもの。サトウキビを切り、砂糖を煮詰め、型で固めて塊を取り出す、というかなり骨の折れる作業工程だったそう。
☆セレブでも入手困難だった砂糖
デザートを語る上で最重要な砂糖。
中世において砂糖が広範囲に普及していった背景には貿易ルートの拡大や様々な征服の歴史、十字軍の遠征、料理と薬学が大きく関わっています。
皮肉にも、砂糖やスパイス、カカオ、など現代人の食に豊かさや幸福感を鯵合わせるものには決して「幸せ」ではなかった歴史がついてまわりますね。
人間の欲望が人間同士の争いを生む。
砂糖もスパイスもカカオも…たいていのものが誰でも容易く手に入れることができる現代では想像もつかない時代を経てきたのですね。
なにせ、砂糖は超セレブの上流階級の人たちにとっても稀少なものであったわけで、砂糖を使うときには「ここぞ」という時の「これみよがし」に使っていたといいます。
また、砂糖はし好品というより薬として用いられる事も多く、胃の病気に効くと考えられていたそうです。
確かに、東洋医学でも「甘味」は胃腸や消化器系に良いとされていますし、砂糖は「薬食同源」の食品として価値あるものとして大切にされていたのだと思います。
☆知性が試された”デザート”
今でこそデザートというと食後にいただく甘い”お楽しみ”という位置づけですが、中世でのデザートは地位と知性を試されるものでもありました。
中世の上流階級が人を招く席において、今のように一皿一皿順番に料理が出されるようなコース料理という認識はまだなく、広々としたテーブル(よく中世の貴族が登場する映画のワンシーンに出てきますよね)の上に豪華な大皿料理がどんどんどーんと並べられ、その中に「甘い菓子類」なども同時に並べられていたそうです。
そして、このどんどんどーんと並べられた料理が2~3巡した後、スパイスなどを加えたホットワインなどを出す、という事がもともとの「デザート」の意味だったとか。
このスパイスのホットワインの目的は「お腹一杯になった客人の体を気遣い、消化を促すスパイスの効いた飲み物で身体を整えて帰っていただく」という医食同源的な意味合いがあったようです。
上流階級の人々の食事において重要視されていたのは、空腹を満たすということではなく医学的な理論であったようです。
ちょっと話が反れますが以前、「ニューヨークのホワイトカラーの肥満は出世しない」という言葉を聞いたことがあります。
現代においても医食同源の考え方取り入れる傾向がありますが、中世の頃から上層階級では食に対しても知性や教養が試されていたのかもしれません。
15世紀に描かれた上流階級の人たちの饗宴の様子。テーブルいっぱいに並ぶごちそうは辛いものも甘いものも一緒くた。今でいうビュッフェスタイル。
☆あま~い目 次
第1章 古代から中世の食習慣
第2章 目で味わう
・お菓子のごちそう ・砂糖のよろこび ・饗宴の奇抜な娯楽料理
など
第3章 乳製品のよろこび
・クリームの中のクリーム ・ひとさじのブランマンジェ
・震える、臆病なカスタード など
第4章 デザートの夢と現実
・万人のデザート ・城から一般家庭まで ・チョコレートの活用法
など
第5章 進化するデザート
・新たなケーキの開発 ・アジアのケーキ ・山盛りのメレンゲ
・テーブルの宝石 など
第6章 変化は永遠に
・戦時中のデザート ・時代はゼリーへ ・フランスの革命
など
本書内には今では超スタンダードなカスタードやゼリー、アイスクリームやクッキー、ケーキ等がどのように誕生し、広まっていったのかが書かれているのですが、どれも一つの国から発祥し、発達していったというよりは同時多発的に各国でそれぞれの食文化、食習慣の中で同じようなものが生まれ、伝わりあい、真似したりしながら独自の食文化食習慣として発展していったようです。これが大陸ってことなんでしょうかね。。。
いや、でも日本にも伝わった南蛮菓子なんかはそれこそ大陸から伝わったわけで、やっぱり食のルーツを辿るというのはつまるところ世界の食のルーツを知るということなんでしょうね。
☆今回のあま~い”旅”から教えてもらった「食」「食べる」とは?
デザートの歴史を紐解いていくと、それは古代~中世の砂糖の発明、登場に端を発します。ただ、もともとのデザートの意味合いは食後の甘いものではなく、食事の消化促進を目的とした医食同源的な身体のケアにあった、ということを知り、食事というものが既に空腹を満たすだけでなく身体の健康のためにある、と考えられていたことにちょっと感動してしまいました。
今ではデザートは人々にその見た目や甘さによって幸福感をもたらしてくれるどこか特別な存在です。
デザートが現代の「形」になるまでには世界中の数えきれないほど多くの人々、そしてパティシエたちが関わってきたのだと思います。
今回のあま~い”旅”で教えてもらった「食」「食べる」とは、日常に溶け込んだ何気ない食文化には長い歴史の中において、多くの人々の犠牲、弛まぬ努力と執念、があるものなのだ、ということでした。
☆今回の食本
『デザートの歴史』ジェリ・クィンジオ著(原書房)
☆本日のおまけ~至福のプリン
知らない町をぶらぶらしていた時のこと。偶然見つけたカフェに入って頼んだ焼プリンは見たことのないビジュアルで私を驚かせてくれ、口の中いっぱいに幸福感を満たしてくれるプリンでした。
やっぱり甘いものに理屈はいりません。世の中に必要不可欠なのです。
きっぱり。