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#10言の葉ひらり_柿、日常の美

◯庭の柿

「天(てん)高く馬肥(こ)ゆ」
 秋は空が澄み渡って高く晴れ、気候が良いことから食欲も増し、馬がよく肥えてたくましくなること。秋の好時節を言う。秋高く馬肥ゆ、馬肥ゆる秋とも。

(参考)『明鏡ことわざ成句使い方辞典』大修館書店

 豊穣の秋がやってきました。先日、私も知人から秋の収穫物として、庭で採れたという柿をいただきました。大きさや色味が一つひとつ、わずかに異なりつつ、皆、つややかで、きりりと形が引き締まっています。青葉に隠れながらも、自然の陽光を受けて少しずつ甘みを帯び、今、自分の手元に届けられた柿。日常の垣根や店頭で見慣れているはずの果物ですが、いつになく感慨深く眺めることでした。

里ふりて柿の木もたぬ家もなし
 (この里には年月が経っており、柿の木のない家もない。)

『蕉翁句集』

 この句は松尾芭蕉が伊賀上野の商人、片野望翠に招かれた連句の会で、発句として詠んだものです(『蕉翁句集』)。そこには望翠への挨拶句としての気持ちが含まれています。訪れたのは元禄7年、旧暦8月7日のこととされており、新暦では9月下旬にあたります。訪れた里の柿の木には豊かな実りが見られたことでしょう。「柿の木」は、里の年月を経た落ち着きと、家々、ひいては人々のゆったりとした佇まいを表すものとして詠み上げられています。
 現在の都心における住宅事情は様変わりしてしまいましたが、柿の木は古来より日本に植わっている樹木で、果実は食物として、葉は茶や防腐剤に、渋は染料、幹は家具に用いられてきました。柿の木は静かに人々の生活に根付いてきたものでした。
 柿の木が有するのは、単に生活の用途だけではありません。日常の営みをともにしてきた時間の厚み、さらには郷愁の感ではないでしょうか。それを芭蕉は「里ふ(古/経)りて」という上の五文字に集約しています。私が庭の柿から得た感慨は、そこに時を経て積み重なってきた静かな日常の文化と自然を感じ取ったことに拠るのかもしれません。

◯柿にまつわる成句

 そのような日常生活に馴染んだ柿の木ですから、柿にまつわる成句もたくさん見られます。

「柿が赤くなれば医者は青くなる」
 柿を食べることによって風邪を防ぐことができるので、病人の少なくなった医者は手持ち無沙汰で苦しくなること。
 (類語)柚子/りんごが赤くなれば医者は青くなる

(参考)『明鏡ことわざ成句使い方辞典』大修館書店

「渋柿の長持ち」
 渋柿は食べられないので、人にも採られず、熟しても崩れにくいため長く残る。転じて、欠点のある者がかえって長じ、たけること。
(類語)憎まれ子世にはばかる

(参考)『明鏡ことわざ成句使い方辞典』大修館書店

「熟柿(じゅくし)がうみ(熟)柿を笑う」
 同類のものの欠点を笑うこと。大差がないこと。
(類語)どんぐりの背比べ、五十歩百歩

(参考)『明鏡ことわざ成句使い方辞典』大修館書店

 上に挙げたものは、それぞれに類語が存在しています。その中で柿が喩えに用いられやすいのは、柿の日常的な近しさを物語っています。
 もう一つ、柿の成句として興味深いのは、時節を待つということです。「桃栗3年、柿8年」というように、柿は実がなるまでに時間を要すことから、次のような成句がうまれています。

「時節を待てよ柿の種」
 小さな柿の種も時節が来れば大きな木になって実がなる
「去年植えた柿の木」
 去年、植えたばかりの柿の木には実がなるはずがない。

(参考)『明鏡ことわざ成句使い方辞典』大修館書店

これらはいずれも、物事の時機が肝要であると伝えることわざです。

◯古典作品における「柿」

 このように日常的に親しまれてきた柿ですが、平安時代などの古典作品で柿の描写を見付けることは困難です。わずかに『宇津保物語』で、

この猿、六、七匹連れて、さまざまのものの葉をくぼて(※柏の葉)にさして、椎、栗、柿、梨、芋、野老(ところ)などを入れて持て来る(「俊蔭の巻」)

『宇津保物語』

のように、山中で侘びしく暮らす母子に動物が食物を運ぶ場面として現れる程度です。
 古典作品では鄙びた情景として柿の木が描かれることはあっても、人々の日常の食の風景として描写されることはありません。
 ただし、これは柿に限ったことではありません。森野宗明氏が、

いわゆる上流社会の女性間では、食生活のことがらは極度に抑えて扱われてきたきらいがある。(中略)「源氏物語」をはじめ女性の手になるとされる作品において、衣装に関しては紙幅を割いてことこまかく描くが、公の宴会の類は措くとして、平凡な日常的な食生活に関しては詳述するところがない。

『王朝貴族社会の女性と言語』

と述べるように、古典作品、ことに宮中の作品においては食そのものが描写されることは稀有なことでした。

◯日常に見いだす趣

こうした観点に立った時、近代俳句の父と称される正岡子規が詠んだ有名な次の句

「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」
  柿を食べていると、鐘が鳴ったことだ。法隆寺の釣鐘よ。

 『ちくま日本文学 正岡子規』筑摩文庫

がたいへん斬新なものであることが実感されます。「くだもの」(『ホトトギス』4・8)によれば、この句は明治28年の10月、神戸の病院を出た子規が3日ほど奈良に滞在したときに詠んだもので、この句の新しさに関して子規自身、次のように記しています。

この時は柿が盛(さかり)になっておる時で、奈良にも奈良近辺の村にも柿の林が見えて何ともいえない趣(おもむき)であった。柿などというものは従来詩人にも歌よみにも見離されておるもので、殊に奈良に柿を配合するというような事は思いもよらなかった事である。余はこの新(あ)たらしい配合を見つけ出して非常に嬉しかった。(中略)柿も旨い、場所もいい。余はうっとりとしているとボーンという釣鐘(つりがね)の音が一つ聞こえた。

阿部昭編『飯待つ間 正岡子規随筆選』

 これまでの、つまり古典的な作品において、柿は詩歌の題材として扱われてきませんでした。しかし、子規は柿を情景として詠むに収めず、自身が食すという行為のなかで、法隆寺の鐘とともにダイナミックな感慨として描いています。日常の何気ない景色を新たな切り口で詠み上げたところに、この句の醍醐味があるといえそうです。
 子規がみた景色は私たちに馴染みのあるものです。そして、改めて見渡せば、私たちの身のまわりには、そこかしこに趣が見出されるはずです。

日本人は古(いにしえ)よりやさしき自然に育てられ、美しくやさしき詩人たるべく養はれたりき(養われてきた)。

『日本名言辞典』東京堂出版

と述べたのは明治期に活躍した評論家の山路愛山(やまじあいざん)(1865-1917)です。
「やさしき自然」は掌の柿一つにも存在しています。この秋にいただいた庭の柿は私にささやかな詩情をも運んでくれました。


〈引用した古典の原文は『新編日本古典文学全集』(小学館)に拠る。なお振り仮名表記、註釈は私に改めた。〉

参考文献
 阿部昭編『飯待つ間 正岡子規随筆選』1985 岩波文庫
 森野宗明『王朝貴族社会の女性と言語』1975 有精堂
 『ちくま日本文学 正岡子規』2009 筑摩文庫

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