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うつ病になるまでの話②


新しい部署での業務は、前任が学者の論文かと思うほどの膨大な量のマニュアルを残してくれていた。

もちろん、マニュアルには1から10まで書いてあるわけではなく、実際に自分で手を動かしていき、試行錯誤を繰り返しながら仕事のやり方や雰囲気を掴んでいくという職場全体の暗黙のルールのようなものがあったため、自分で頑張るしかない部分も多くあった。

配属から数週間たち、蓋を開けてみると、前任者が課内のほとんどの業務を担っていたということが判明。(そりゃ、マニュアルが論文なみになるよな・・。と実感。)

「ここ、分からないのですが・・」と恐る恐る周りのメンバーに聞いてみても、全員クビを横に振る。

組織であるにも関わらず、自分の部下や他のメンバーが何をしているのか分かっていなかった。

でも、嫌でも、できなくても、一度配属されると1年以上は動けない。

ならば、できることから少しずつやっていくしか無い。

そう腹に決めて一日一日を過ごすよう努力した。

しばらくして、私以外のメンバーにも辞令が発令され、新しい上司がついた。

私自身も分からない、慣れないなかで、新しい上司から、「これはどうやるんだ」、「ここはどうなっているのか」質問の嵐。

それに加えて、上司は昔ながらの年功序列の意識がとても強い方で、簡単なコピーなど、すべて私に振ってきた。

上司の人間性が悪いとかではなく、むしろいい人の部類に入るのだろうけれど、だからこそ断れない。負の無限ループ。

深夜までの残業。

やりたくない飲み会のセッティング。

他の部署からの理不尽なクレーム。

雑談もできない部屋の雰囲気。

「頑張ろう」と前向きに来ていたけれど、配属から数ヶ月目に、とうとう、職場に行くことに億劫さを覚えるようになっていた。

朝早く出て、夜遅く帰ってきて、自分のちょっとした時間も取れずに倒れるように寝て、また仕事へ行く。

誰かに話しを聞いてもらいたいと思ったけれど、職場の周りの人にこぼせるような雰囲気ではない。

自分から話しかけても、世代間ギャップもあるのか、話が発展せずに終わってしまう。

それと、私は一人暮らしをしており、当時は恋人もいなかったため、愚痴をこぼせる人が誰もいなかった。

田舎の両親に電話をして、自分の話を聞いてもらいたいと思っても、両親はいつも自分の話ばかりで、私が聞き役になることが多かった。

もともと溜め込みやすい性格だったので、さすがに「これではまずいな」と感じた私は、ノートに思い切り嫌なことや思っていることを書き出したりしていたが、吐き出すスピードを上回る勢いでストレスが溜まっていく。

そこに、追い打ちをかける出来事があった。

続く。。
(最後までお読みいただきありがとうございます)

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