記憶喪失 (1分小説)
目覚めると、医師や看護師たちが、オレの顔をのぞき込んでいた。
「奇跡だ!」
医師の説明によると、オレは、1989年に事故に合い、以降30年間、意識不明の状態だったのだという。
「隆俊さん、ホントによかったわ」
見知らぬオバちゃんが、手を握ってきた。
誰?
「あんたの婚約者、美優ちゃん。30年もの間、介抱してくれたの」
オレのお袋だという老女が、おばちゃんを紹介。
いきなり、婚約者だと言われても。
心情を察したオレのオヤジらしき人が、手鏡を持ってきた。
「記憶を失っているんだな。はやめに、現実を知ったほうがいい」
差し出された手鏡には、初老の男の顔が写っている。
「隆俊、お前は、今年で52歳だ」
オレ?ウソだろ。
【1ヵ月後】
美優さんは、食事、排泄、入浴、全身に取り付けられた管の調節、洗濯、病室のそうじ。ずっと、身の回りの世話をしてくれていたのだという。
恩もあるし、優しい人なのは分かる。しかし、愛することはできない。精神年齢は、22歳のままなのである。
女性の白髪やシワを愛せるほど、オレは大人ではない。
やんわりと告げると、彼女は「分かったわ。別れましょう」と、うっすら涙を浮かべ、病室を出ていってしまった。
胸が痛い。
「あんないい子を、どうして!」
お袋は、オレを責めたてた。
美優さんは、それから、一度も病室を訪れることはなかった。
【1年後】
オレは、社会復帰した会社で、20歳のカオリと出会い、恋に落ちた。
年の差はあるが、刺激があって楽しい。
ところが、いざ、ご両親に挨拶にいこうとすると、カオリはしぶった。
「隆俊さんより、アタシの両親の方が若いの。写メを見せたら、猛反対されて」
中身を知られる前に、年齢や外見で判断されるだなんて。
「それに、まだ結婚とか考えられる年じゃないし。いっぱい恋をしてから、決めたい」
心の中に、冷たい風が吹き抜ける。
美優さんを思い出す。今のオレと、同じ思いをさせたのではないだろうか?
【その夜】
カオリから、別れの連絡を受けた、隆俊の母親は、満足そうに電話を切った。
「おまえも、自分の息子に対して、酷なことをするよなあ」
隆俊の父は、しぶい顔。
「今の隆俊があるのは、美優さんのお陰なのよ。女性の一番いい時期を、介護に費やしてくれたのに。これぐらいのしっぺ返しは、当然。
今ごろ、どうしているのかしらね。美優さんは」
【結婚相談所】
相談所の職員は、美優の要望を受け、不可思議そうな顔をした。
「検索したところ、お一人、おられました。登録後に病で倒れ、現在、意識不明状態の男性が。意識はありませんから、意志疎通も、ご結婚も望めませんよ」
美優は、安堵の笑みを浮かべた。
「いいのよ。お互い、意識はあっても、心が通じていない夫婦よりかは、長く幸せを築けるから。私は、私を100%必要としてくれる男性でないと、ダメみたい。前の恋で、よく分かったの」
職員に、札束を渡す。
「その男性を、私に紹介してください」
隆俊さん、ありがとう。私やっと、あなたのことを忘れられそうよ。