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「人の助けになっている」という思い込み

以前、なにかの記事で見かけて気になった「メサイアコンプレックス」という言葉


私は今まで、これに陥っていたのではないか?という思いが最近強くあります
あまり聞きなれない方のために、「メサイアコンプレックス」の意味を以下にご説明します

メサイアコンプレックス

メサイアというのは、一般的な日本語ではメシア(救世主)と言われるもののことである。この心理が形成されるのは、自分は不幸であるという感情を抑圧していたため、その反動として自分は幸せであるという強迫的な思いこみが発生するとされる。さらにこの状況が深まると、自分自身が人を助ける事で自分は幸せだ(自分には価値がある)と思い込もうとする。
wikipedia より引用


私流に少しかみ砕いて言うと「自己肯定感の低さを満たすために他人を救おうとすること」になるでしょうか?


自分の中では「困っている人を助けたい」「少しでも落ち込んでいる人の力になれれば」という思いがあって、それは正しいことだと信じて疑わなかったのですが・・・


実は正常に心が働いておらず『人に手を差し伸べている自分に酔っているだけで、自分だけが救われているだけ』という歪んだ状態を生み、結果として関わった人たちに「ありがた迷惑」だと思われていたのだと、そう自己分析しました


「親切心の押し売り」


それが実態だったのだと、関わった人達の反応を振り返ればそう思い返されるのです
差し伸べた手は、必ずしも相手が求めたものではないだろうし、そんなことばかり続けていると、それこそ自分を削ってしまって、良くない感情まで溜め込むことになってしまう


そればかりではなく、相手も私の行為のせいで疲弊していくのだろうと今更ながら思いました
結局は私の自己満足のために、他人を利用してしまっていただけなのでしょう


言葉の意味だけ知識として持っているのではダメで、ちゃんと理解して行動に落とし込まないと意味はないですよね
失った信頼と時間は元に戻らないけれど、これからの自分の生き方にはちゃんと反映させないと、これまで関わった人達と自分に申し訳ない


自己満足に他人を巻き込むな!


これが「メサイアコンプレックス」に陥っていた、自分への戒めの言葉でしょう

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