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見ているものが同じでも。

例えば、アイキャッチにした写真。

全体が美しいと感じる人もいる。
夕陽が綺麗と感じる人もいる。
光を受けたススキの穂がキラキラしている様子が好きという人だっている。
もしかしたら、良さがわからない人だっているかもしれない。

何が言いたいかというと、見ているものが同じでも、感じ方は人それぞれだということ。
また、感じ方や受け取り方の正解は一つではなく、誰かに否定されるものでもないということ。

こんなことを改めて文字にしたところで当然だと思われるが、日常の中でふと抜け落ちてしまうことが往々にしてある。

なぜこんなことを書こうと思ったかというと、今の時期の子どもの服装について、夫と口論になってしまったのがきっかけだ。

夫は、昼間は暑いから、子どもに半袖を着せたい。
朝晩の涼しさは、半袖でも過ごせるという。
私は、朝晩冷えるから、子どもに長袖を着せたい。
暑い時は、腕まくりして過ごせばいいと思う。

真っ向から違う考えなので、子どもの服を片方が準備するともう片方が反論するという儀式が、このところ毎朝のように行われていた。
どちらも子どものことを考えているし、自分の主張が正しいと信じているので、つい真剣に口論してしまう。

ならば、どちらが正しいのだろうか。
それとも、全く違うのか。
私と夫は、冷静に話し合ってみた。

すると、どちらも一理あるが、どちらも正解ではないというのが私と夫の結論となった。
私と夫の主張には、子どもたちの意思が尊重されていないからだ。

選んだ服を着るのは子どもたち。
私たちがどう思おうと、本来ならば子どもの意見が優先されるはず。
判断ができないほどの小さな子ならいざ知らず、我が子たちは自分で判断できる年齢だから、意見を聞いて尊重するべきだった。

ほんの些細なことなのに、つい自分たちの主張を通すことに必死になって、本質を見失いそうになっていた。

そこで、子どもたちに着たい服を聞いたところ、寒いのは苦手だし、友達はみんな長袖を着ているからという理由で、子どもたちは長袖を選んだ。
私たちの主張とはまた違う視点だった。
危うく、子どもを尊重せず押し付けるところだった。

この一件で改めて、感じ方や考え方は人それぞれ違うものだと思い知らされた。
「そんなことはわかっている」と思っていても、日常生活に流されると抜け落ちてしまう。
自分がいつだって正しいと思っているわけではないのに、たまにこうやって他人に自分の考えを押し付けてしまったことが、これまでもあったのではないか。
他人から考えを押し付けられるのは嫌いなくせに、もしかしたら、自分は相手に考えを押し付けていることがあったかもしれない。

過去にやってしまったことはもう取り戻せないけど、こまめに振り返って気づくのも大切だ。
気づいた時点で反省し、相手を尊重することを忘れないようにしたい。

私にとっては大切な気づきだったので、忘れないようにnoteに書き記しておく。

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