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『考える練習』をしたい。
悩みがあると、本が増えます。
悩みごとの答えなんてネットでも探せるだろうし、今ならAIに聞けばある程度わかるでしょう。でも私は、本を読んで答えを探したいのです。できるかぎり紙の本で、ひとつずつ確かめながら答えを探っていきたい。
現在の悩みは、もっぱら書くこと。書きたいことを書いてみると、何とも浅い仕上がりになってしまうのです。ここ最近、忙しさにかまけて書くことに手を抜いていたツケが、今、回ってきています。
何をサボっていたかというと、思考や感情の深堀りです。記事を書くとき、いつも「なぜ」と問いながら書いてはいますが、読み返してみると「考えが浅い」文章になってしまいます。読みやすいけど、上っ面の何も引っ掛かりもない文章。最近の記事は、そういうものが多いです。
先日の記事を例に挙げてみます。
だから、『俺の文章修行』を読み始めたときは面食らった。文章初心者からすると読みづらいと思うほど、アクを強く感じる。なので著者独特の文体に慣れるまでに、時間がかかった。町田康ファンからするとおなじみの文体かもしれないが、初心者の私には驚きの連続だ。読みやすい文章に慣れた人が本書を読むと、中には挫折してしまう人がいるかもしれない。それほど、特徴の強い文体だ。正直、好みは分かれるだろう。
「アクを強く感じる」って、具体的にどんな表現からアクを感じたのかを言語化できればよかったと、今となっては思います。「特徴の強い文体」としか言及していません。私がどう感じたのかを、面倒がらずに書くべきでした。しかし、脳にサボり癖があるのを知っていても、つい楽なほうに流されてしまいます。
思えば昔から、ひとつの事象に対して、「なぜこう思ったのか」「なぜこの出来事が起きたのか」だけでなく、「どんな気付きや発見があったか」「どう行動を変えていくか」など、思考を深堀りすることが苦手です。事実をそのまま書くことはできるようになりました。しかし、思考を言語化できても、さらに展開して深堀りできないところが、私の弱点です。
読みやすさだけでなく、読み手に深い気付きや発見を与えられるような文章を書きたい。柔らかいところというか、心のひだを伝えられるような文章を目標としています。最近、そういうの全然書いていません。今も、思ったことをそのままベタ打ちしている感覚です。
ぐるぐる考えながら用事を済ませているうちに、気づいたら書店にたどり着きました。悩むと書店に足が向くのが私です。本に答えが載っているとは限らないのに、救いを本に求めてしまいました。もう病気かもしれない。
先日、「しばらく本は買わない」と記事に書いたにもかかわらず、それでも本を買おうとしてしまう私の意志の弱さよ。
おい、ゆに。
そういうところだぞ。
こちらの本、「はじめに」の部分でこう書かれています。
なぜ自分は深く考えられないのか悩んだことはないだろうか。自分の考えを聞かれて、中身のないことを言ってしまい、恥ずかしい思いをしたことはないだろうか。
あるある!ありまーす!と、心の中の私が全力で挙手しました。まさに私のそのもの。どこかで見てたの?と思うぐらい、私に当てはまります。
さらに「はじめに」を読み進めると、こんな文章が出てきます。
私たちは、子どもの頃からずっと「自分で考えなさい」と言われ続けてきたが、何をもって「考える」といい、そのために具体的にどうしたらいいのかを教わったことはないのだ。
だからなんとなく、ひらめくのを待ったり、インターネットや書物で色々調べたりすることを「考える」ことだと勘違いしてしまっている。
それでは「考える力」は身につかない。「考える練習」をしなければならないのだ。
うっ、痛いところを突かれました…この本を手に取った動機が、まさにこの通りです。いろいろと手当たり次第調べて答えが導き出せたら、それで「考えた」つもりになっていました。大学の卒論を書くときも、本を読んで調べたことばかり書いた記憶があります。そこからずっと、癖になっているのでしょうね。
だから、実際は考えたとは言えないのに、「考えた気でいる自分」を変えたい。
正直、書籍を買うことに躊躇する気持ちもありました。本を買ったら、調べただけで「考えた」ことにならないんじゃないかと思いました。これまでと全く変わらないのではと迷います。しかし、私に「考える」ことを教えてくれたのは、この『考える練習』の「はじめに」です。どうしても気になります。1冊きちんと読んでみたいと強く思いました。
この本の「はじめに」だけですっかり心をわしづかみされてしまった私。とうとう本をしっかり胸に抱きしめ、レジへ向かったのでした。本に乗せられていると言われたっていい。誰が何と言おうと、私は現状を打開したいんだ!という強い意志を持って本を購入。おかげで、澱んでいた気持ちが少しスッキリしました。
せっかく出会ったんだから、『考える練習』で考え方を学び直します。私自身を成長させるためだけでなく、納得のいく文章を書くために。