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合言葉を言え。

誰にも知られていない、合言葉がある。

合言葉が生まれたのは、私がまだ小学2年生のころ。
初めて家族で旅館に宿泊した時だった。

旅行という非日常と、旅館に宿泊という初めての体験。私は心からワクワクしていた。興奮しすぎて、旅館へ向かう車の中で2度鼻血を出した。それでもはしゃいでいる私に、家族は呆れてしまった。

旅館に着くと、私のはしゃぎっぷりは加速。
旅館の全てが輝いて見えた。着物をビシッと着こなし、キビキビ働く仲居さんたちがカッコいい。その中でも特に美人だった仲居さんの後ろを、間違えてフラフラついていった。気づいた父に連れ戻される。父は私の腕をつかんで、「落ち着け!」と一喝した。

しかし、私の勢いは誰にも止められない。
だって初めての旅館だもの。
キラキラの施設にワクワクしちゃう。

好奇心のかたまりとなった私は、部屋へ案内される間も大暴れ。廊下の窓からの景色にウットリしたり、廊下をすれ違う宿泊客をジロジロ見たり。いちいち「これ、なぁに?」と聞いて、母からたしなめられた。それでも、親の声より旅館への興味。あちこちフラフラ行きすぎて、危うく迷子になるところだった。

最終的に、父と母に両腕をガッチリつかまれた状態で、宿泊する部屋に着いた。


部屋の詳細はあまり記憶にない。
窓から富士山が見えたことだけは、鮮明に覚えている。

両親から私のお守りを頼まれた姉は、少しうんざりした様子で私と遊ぶ。父が館内の温泉に行くというので、部屋に入るための合言葉を決めようという話になった。

光GENJIファンの姉の影響で、合言葉は「光GENJI」に決まった。

「ねえねえ、一度練習してみようよ」

私は姉を巻き込んで、合言葉の練習をさせた。
まずは私が部屋の外へ出て、入り口をノックする。

「合言葉を言え」

姉の声がする。
私は張り切って言った。

「ひかるげんじぃ~!!!」
「声でかいよ」

入口が開いた。
合言葉は成功。

私が部屋に入り、攻守交替。
今度は、姉が部屋を出る。

ノックの音が聞こえた。

「誰?」

問いかけても返事はない。

「合言葉を言え」

私は、部屋の外の姉に言った。
しかし、合言葉は返ってこない。

お姉ちゃん、サボってるぞ。

思い込んだ私は、語気を強めてもう一度言う。

「合言葉を、言え!」

すると、返事が返ってきた。














「係の者でございます」



え、なんていった?
それに、姉の声じゃない。

突然のことに頭が真っ白になった。
思わず無言でいると、向こうからまた声がする。

「係の者でございます」

か、かかりのもの??
なにそれ?
っていうか、あなた誰?

パニックになった私は、思わず聞き返す。

「かかりのもの?」

すると、部屋の奥から光の速さで母が飛んできた。

「すみませんすみません!子どもが遊んでて!失礼しましたっ!」

母があわてて出入り口をあけると、そこには先ほどの美しい仲居さんがいた。申し訳なさそうな顔で立っている。さらに後ろの物陰から、姉が「ごめん」と言わんばかりに私に向かって手を合わせていた。

顔を真っ赤にした母が、慌てて仲居さんの応対をする。頭をペコペコして必死に謝っているようだ。その隙間をぬって、姉が部屋に入ってきた。

「ごめん。あの人いたから、合言葉言えなかったよ」

姉が私に謝る。
私はぽかんとしたままだ。

仲居さんとの話を終えた母が戻ってきた。

「もう、あんたたち、アホなことを!恥ずかしいわ!」

予想通り、私たちは母に叱られた。

「ごめんなさい」

母に謝ったものの、別に悪いことしていないじゃんという気持ちの私は、何だか面白くない。その気持ちが顔に出ていたのか、さらに母に注意される。

「合言葉なら、人がいないときに言って!」
「はーい」

すると父が、私たちの話に入ってきた。

「もう、合言葉変えちゃえばいいじゃん」
「変えるって、何にするの?」
「とりあえず、ゆに、合言葉を言えって言って」

「え?あ、合言葉を言え」

すると父は、ドヤ顔をキメて言い放った。









「係の者でございます!」





私と姉は、父の言葉にあっけにとられる。
そしてなぜだか、じわじわ面白くなってきた。

「それいい!絶対それにする!」
「お父さん面白い!すき!」

私と姉は大喜び。
キャッキャと声をあげて笑った。

気が付くと、さっきまで怒っていたはずの母まで大笑いしている。

満場一致で、私たちの合言葉は決まった。


30年以上たった今でも、実家で話題になる合言葉。

4人が集まった席でこのやりとりが出ると、笑い声が部屋中に響く。

「合言葉を言え」
「係の者でございます」

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