カタチのない不安と生きる
目に見えないものはたくさんある。
感情のほとんどは目に見えない。
だからこそ確かなものを求める。
「出会いあれば別れもある」
新学期、進学、新生活、新しいことが始まる度に環境は変わる。
関わる人も変わり、新しい友達や仲間ができる。
繋がる範囲も増え、関係性も増えていく。
新しくできることや任せられることも増えていく。
ではこれまでに関わってきた人はどうなるのか?
仲が良ければこれからも会い、
そこまで良くない人とは別れを告げる
でも明確に「もう貴方とは会わないわ」「連絡とることもないから連絡先消すわね」「さようなら」なんて言うことは無い。
相手も自分も誰しもが、誰かの存在を知らないうちに自分の世界から非表示にしている。
代わりに新しく出会った人の世界であなたという存在が追加されていく。
変わりゆく関係性にどこまでの重みをつけていいのだろうか。
「あの頃は2人親友だったのにね」「もう一緒にいないんだね」「今関わってないんだ」人の関係性はどんどん変わっていく。
出会った全ての人間と仲良くなれたとして、その全員とずっと仲良くするということは出来ないのだろう。
1日24時間、1年365日、決められた時間の中で全員に一定の期間で会うことは出来なければ、同じように関係を築くことは非常に困難だからだ。
約束を決めていく。誰と会うか、いつ会うか、どれだけ会うかを決めていく。
全ての選択が、あなたの関わる人間を、あなた人生を決めていく。
変わりゆく関係性にどこまでの重みをつけていいのだろうか。
「出会ってからずっと一緒だね」「まだ仲良いんだ」「一生の友達だろうね」変わらない関係性はいくつあるだろうか。
毎日たくさんの人に出会うこの世界で、あなたと会話を当たり前に交わし、生活のひとつになる人が何人いるだろう。お互いが変わり続ける中で変わらない関係性を築くことがどれだけ当たり前にできるだろう。
小さい頃は言えてた「一緒に遊ぼう」「友達になろうよ」をいつから簡単に言えなくなったのだろう。
何も言わなくてもみんな友達だと笑えていたのはいつまでだろう。
今のあなたは何も迷わずに誰かに声をかけることが出来るだろうか。
友達とはどこからどこまでで、親友とはどれだけ親しい友達なのだろうか。
滅多に会えないあの子と、たくさん会っているあの子と
大切にしたいのはどちらもなのだろうか
私が大切にしたいのは誰なんだろうか
本当は大切にされたいだけで
私は大切にできていないのではないだろうか。
友情も愛情も目に見えない、同じカタチか分からない、同じ重みか分からない。
言葉にして伝わること
言葉にしても伝わらないこと
どちらもあるうち後者の方が圧倒的多いと思う。
言葉にしても伝わらない世界で
人の気持ちはどこまで脳内や心で目に見えるカタチまで想像ができるのだろうか。
どうやったら伝わるのだろうか。
私は誰の世界に生きていて
誰の世界では死んでいて
私の世界には誰がいるんだろうか
あなたの世界に生きることはできるだろうか。
私の脳内は日々こんなことばかりで埋まっている。
些細な出来事をキッカケに思考は動き出す。
しかし答えも応えもない。
だがいつも結論はだいたい同じである。
目に見えない不安も、分からない答えも、
私の中で正しいと思ったことが全てで
日々変わっていくので
今日も私が私にとっては全て
今の気持ちを大切に生きるしかないのだ。