見出し画像

「青」という色は、どんな色なのだろう。

ラブレターをいただいた。

しかも!AOIROさんからのラブレター。

嬉しくないはずはない。

AOIROさんの企画にちょっと迷いながらも手を挙げ参加させていただく決意をしたのだ。

いつもAOIROさんの記事を読ませていただいており、メンバーシップにも加入させていただいているのだが、なんというのだろう、私の語彙力の無さをAOIROさんの感性と知性が補って、私の深い所の事情を語ってくれているという感覚に陥るのだ。

これは、錯覚かもしれないけれど、そんな気持ちになることが多々ある。そしてその錯覚が私を励ましてくれる。

「そう!そのこと!」「あぁ!そうなの!ホントにそう!」と心の中で言語化出来なかった何かが、スーッと細胞に吸収され、消えていく感覚。

もちろん、AOIROさんの持っている言葉と私の言葉は違う。でも、何処かで繋がっている気がしてしまうのだ。烏滸がましい、と思いつつ、勝手に嬉しくなる。

AOIROさんからいただいたラブレター。


美容院の帰りに、バスに乗り、一番後ろの座席に一人座ってこのお手紙を読んだ私は、泣いた。とても静かなのだけれど、私には勿体ないと思えるこの一万字を超えるお手紙が、ラブレターだと思えた。


誰に向けてということもなく、何の目的があるわけでもなく、日々のことを遺しておきたい。自分の感じたことを遺しておきたい。そんな気持ちで書き始めたnote。それが、このように見つけてもらえた。

AOIROさんからのラブレターに、僭越ながら、お返事を書かせていただこうと思う。

AOIROさんの記事を読んだのは、おそらく「JUMP!」という企画に共通のフォローしているnoterさんが参加されていて、記事のやりとりを読ませて頂いたのが最初だったと記憶している。

絵を描くことを生業にされ、それまでも研究職をされていたというAOIROさんと私に何の共通点も無いように思えた。私は、絵が好きだけれど、描くことに秀でているわけでもなく、何かを極めようとするには、根気が足りないタイプだ。

見ている世界も、暮らしている世界も違うだろうに、AOIROさんの存在する世界がどうしても遠いようには思えなかった。

だから、ちょっとドキドキしながらも、AOIROさんの世界から見える私の世界を知りたいと思った。そして、そっと挙手し、企画に参加させていただいたのだ。


往復書簡、というものに憧れていた。

20年以上前だっただろうか。雑誌で江國香織さんが妹である晴子さんとの往復書簡という連載があった。内容までは詳しく記憶していないのだが、何気ない日々のことが、行き来する様子が心の何処かに残っていて、往復書簡っていいな、と思ったのだ。

AOIROさんがラブレターの中で、私が肩書きについて書いた記事を取り上げてくださった。その記事を書いた同時期、AOIROさんも肩書きについてこのような記事を書かれていた。

人々の振りかざす「肩書き」にうんざりしていた私は、この記事に共感し、首がもげるほど頷いた。私自身は、AOIROさんの様に、他者を殴打するほどの勲章箱は持ち合わせていないのだが、いつでも抜ける刀を差している。

何かあったらいつでも抜刀する準備万端だ。

抜くか抜かないかは別として、「刀を差している」ことが、恐らく重要で、どうでもいい煩わしさから身を守ってくれることがある。何故、刀を差しているかといえば、「自分や家族、子どもたちのやるべきことを邪魔されない為」である。別に他者との関わりを軽んじているわけでないが、時に事故のように降りかかる煩わしさは、自分のやりたいことへの意欲や時間を削いだり、奪ったりする力がある。私は、それを経験から知っている。

AOIROさんはこう書かれている。

正直、博士号も修士号も、資格も、肩書きも、持っていたところで「で、なに?」と思っている。
だいたいの肩書きは時間とお金さえかけたら、誰だって取れる。所詮、肩書きは肩書きなのである。勲章は勲章でしかなくて、缶バッチがひとりでに歩き回っていても、価値はない。
大切なのは人間の方。
くっついている肩書きはおまけでしかない。
その人が何が好きで、何をしたくて、どんなことができるようになりたくて、どんな美学を持っているのか。
別に肩書きを否定しているわけではない。
生きていく中で増えてしまったもの、手に入れた役割、ポジションは大切なものだ。その人を彩る分かりやすいなにかである。
手に入れるまでには、時間やお金などのコストも沢山かかるのだ。その努力は、きっと何物にも代え難い、尊いものだとも思う。
でも、主体は肩書きにはなくて、あくまで人間にあるということ。
少なくとも、わたしはそういう美学を抱えて生きていきたいと思っている。思ってきた。

そう、美学だ。

自分の中で〈美しい〉と感じること、そして〈美しくない〉と感じること。
それに誠実な生き方をされているのがAOIROさんなのだと思う。

それでも時として勲章箱で殴りたくなる衝動を我慢できなくなるという。
それに対するAOIROさんの師であるジェダイ・マスターの言葉。

「いつの時代にもそういう教えてくださる輩(師は皮肉を込めてteachers ティーチャーズと呼んでいた)はいるものだよ。
どれだけ技量が上がっても、勲章をわかるようにつけていても、ティーチャーズはたくさんのことを教えてくれようとする。そんな輩たちは相手にしてはいけない。あまりにもしつこいなら勲章箱で殴って早々に追っ払ってしまいなさい。
でなければ、絵を描く大切な時間がなくなってしまうよ。
ティーチャーズの教えを聞いてあげるだけの時間なんて、我々の人生にはないんだ。
好きな絵を描き、好きな人と話し、好きな作品を見て、好きに生きたらいい。
そして昨日よりも今日、今日よりも明日と。ずっとずっと素晴らしくなっていく自分の人生をたっぷりと味わい尽くしなさい」

流石、ジェダイ・マスターである。
平たく言えば、〈どうでもいい人(とても失礼な言い方ではあるが)に割いている時間などないのだよ〉と言っているジェダイ・マスターが、私には愛と優しさで溢れているように感じられる。

己の人生に於いて、大切なものは、何か。

それをジェダイ・マスターは勿論、AOIROさんも知っているのだと思う。

私はそういう感覚をお持ちの方々の存在を知ったとき、感じた時、心が躍る。心の中でガッツポーズをしている。漫画・スラムダンクで山王戦に於いて、天上天下唯我独尊男と言われる流川楓が自分でゴールを狙うのではなく、パスを出した時、いつもは不動である安西先生が身体全部を使ってしたガッツポーズくらいの大きなガッツポーズをしている。


閻魔帳仲間であるAOIROさん、私の記事の中の〈脳内閻魔帳〉という単語を見つけた時に、〈まるで無人島で自分以外の人間を見つけたような感覚になった〉と書いてくださっている。そして、このように表現してくださった。

見ろよ、やっぱり1人じゃなかったぞ。
目を背けない姿勢を持っている人は、いたぞ。


そう、私は脳内に閻魔帳を持っている。

嫌だったこと、楽しかったこと、心が動いたことを、色々記憶している。AOIROさんは「罪」と表現しており、それを物騒だとも書かれていたが、ちっとも物騒なことではないと思っている。

起きた出来事は、なかったことにできないし、感じたことを見なかったことにはできない。手放したら楽に生きられるのか?と考えたこともあったけれど、手放し過ぎて、何処を生きているのか?と思うようなケースも多く目にしてきたので、手放すことが最良の選択であるとも思いにくい。

察する
感じる
匂う

これは、動物として生きるには、本来備わっているものなのだと思う。
これを手放したら、野生動物ならば、待っているのは死だ。

私は、手放す死よりも、ちょっと面倒な生を選ぶ。

結局、手放すことなんてできないのだから、抱えながら生きていく。
抱えながら、時には、抱えている荷物を入れ替えたりもして、バランスを取りながら進んでいく。

私はそう選択しているのだと思う。

ずっと往復書簡に、憧れていたけれど、知らないうちにAOIROさんと様々な事柄がリンクしていることがあり、いつの間にか往復書簡のようになっていたのかもと一人で小躍りしていた。


我が家の子どもたちは現在、「学校に行かないという選択」をしている。
そのことを取り上げ、AOIROさんはこう書いてくださっている。

選択には、責任が伴う。
好きなものを選んで、あとは終わり! とは、そうはいかないのである。何かを選んだのちに発生する利益も、不利益も、自分がなにかを選んだのであれば、その選択で得られたものは良くも悪くも、余すことなく自分のものである。
「自己責任」という言葉は、他者を切り付けるために使うものではなくて、自分を戒めるために、律するために使う言葉だ。標のような言葉。決して、刃ではないのだ。

その通り。
本当にその通り。
私はまた頷き過ぎて、首がもげそうになる。

〈自由っていうのは、やることも、やならいことも、自分で決めること。〉

そういったのは、長男が6歳の時だっただろうか。
そう言った彼の顔に「責任を背負う覚悟」を感じたことを覚えている。
勿論、責任がどういったものかを、子どもたちが何処まで理解できるのかと問われたら、明確にはできないかもしれないが、彼らは知っている。

どれを選択しても、良いことも、都合の悪いことも起きることがある、ということを。そして、それを引き受けるのは、自分であることを。

学校に行かない選択をすることで、不利益になることもあるだろう。

でも、それを含めて選択し、その選択を親である私と夫も理解して受け入れている。学校に行くことも、行かないことも、自分で選んだのであれば、どっちでもいいんだよ、と思っている。その選択を最大限応援するよ、と。

何を選んでも、良いことも、そうでもないこともある。単に選択の違いなのだ。

〈自己責任〉という言葉の理解に関しても、AOIROさんの考え方に深く共感する。自己責任とは、「自分のこと以外はどうでもいい」という言葉ではない。失敗したり、躓いた人に「あぁ、やっぱりね、自分の責任だよね。」と冷ややかや視線を送ることでは、決してない。

肚を括る

ということだと私は思っている。

覚悟する

とも言えるだろうか。

何が起きても、自分で引き受ける覚悟をする。その場になったら、不安で悲しくて引受け切れないこともあるかもしれない。でも、それでも、覚悟する。その姿勢を忘れないこと。


AOIROさんは自由に生きる覚悟をしている人なのだと思う。


さらにAOIROさんは、「望まれたように、応えなくてもいい」という記事を取り上げてくださり、こう書いてくださった。

「ああ、こうしてほしいんだろうな」とすぐに察するやなぎださんは、察してしまうばかりに、相手の意図を汲むか、自分の意思を貫くかで迷ったこともあるのかもしれない。
いっそ見えなければ、知らないままでいられるけれども。
見えてしまったら、察してしまったら、相手の向こう側に見える意図のようなものに気がついてしまったら、選択が発生してしまう。
相手か、自分か。
相手の望む自分になるか。
自分が望む自分になるか。
折衷するか。
自分の割合が減っていくと、悲しくなる。
自分じゃない誰かになっていく。自分に嘘をつけばつくほど、魂に傷でも入っているのかもしれない。
わたしは、そんなことを思う。
器用だと、演じられてしまうのだ。
わたしは不器用だと自分で思い続けてきたけれども、おそらく器用に仮面を付け替えるみたいに、顔色を窺ってきたところもあるのだろう。
自分からわざわざそんなことはしないけれども、ぐっと迫られたときに、期待されているであろう行動を、姿を、振る舞いを、応えてしまいそうになる。
だからなんとなく。
勝手に、ほんとうに、どこまでも勝手なのだけれども、実際にお会いしたこともないやなぎださんに対して、そんなシンパシーみたいなものを抱いてしまう。
わたしは不器用と器用の狭間を生きてきた。
やなぎださんは、どうなのだろうか。


「あぁ、こうして欲しいのだろうな」に関して、これは、錯覚なのか、思い込みなのかわからないのだけれど、勘のようなものが働きがちである。保育士として働いていたときも、子どもが求めることが、言葉にならなくても、「あぁ、きっとこうして欲しいのだろうな」が伝わってくる瞬間があった。どうしてかは、未だにわからない。そして、現在も、我が家の3人の子どもたちに対して、そのような事がある。

敢えて言っておくと、これは、良し悪し、正解・不正解の話ではなく、彼らの求めることが、私の中にスーッと染み込んでくる、薄い透明な膜を通ってくる感覚なのだ。静かに伝わってくる感じ。もしかしたら違うのかもしれない。でも、〈なんとなくそんな感じがする〉は、今のところ、外れたことがない。子どもたちに共感して、とか、寄り添って、とかとはまた別の感覚で、なんとも不思議な感覚。静かに浮かび上がる感じだ。

AOIROさんは「器用と不器用の狭間を生きてきた」とおっしゃっている。
私は、どうなのだろう?と思い返すと、〈ちょっとづつ器用になることを止めてきた〉かもしれないと思った。

いつからかは、はっきりわからないけれど、たとえ自分が相手に受け入れてもらいたかったとしても、相手の欲しがっている答えを持ち合わせてるとしても、それを言ったから何になるのだろう?と思うようになった。

そもそも、それは、相手の人にとって本当に必要な答えなのか?と考えるようになった。相手が求めているとしても、長い目で見た時に、相手が求めるように応じることは、大きな環の中で、何の役にもたたないかもしれない、と。

さらに、自分を受け入れてもらうために、相手の気持ちを満足させるために、というのは、不誠実に思えた。自分にも、相手にも。

それでも、子どもの頃は、親や周囲に受け入れてもらうために、自分を演じていた時期もあったと思う。苦しかったし、居心地が悪かった。自分が擦り減り、それを続けていたら、自分は消えて無くなるのではないかという怖さも何処かにあった。

歳を重ねたからか、段々と図々しくなったのか、神経が図太くなったのか、何だかんだ言ったって、私はわたしでしかないじゃないか。誰かのために生きるのではない。私は、どうしたいの?万人から受け入れてもらう、好かれるなどということは有り得ないのだから、自分の好きにしたほうがいい。嫌われてなんぼじゃない?

私は、相手の望む私には、ならないことにした。

「みんな仲良く」

私にとって呪いの言葉に思えた。

長男と幼稚園に通い始めた頃も、お母さんたちの集団の中で、どう振る舞っていけばいいものやら、と途方に暮れそうになっていた。

保育士時代もそうだったが、女性の集団は苦手だ。心の中で「大奥」と呼び、脳内で、「人物関係相関図」を早急に作成していた。それはそれで楽しかったのだけれど。

そんな時に、幼稚園の園長は、私に、「みんなと仲良くしなくていいから。」とあっさり言った。心の中で思った「ラッキー!」と。

仲良くとは、する、ものではなく、なっていくもの。
今は、そう捉えている。

わざわざ関係を壊したり、相手に不快な思いをさせる必要はないので、最低限のマナーというか、節度を持って接するし、特に敵意を持つこともない。敵意を持たれても、面倒で、自分の暮らしに害を成すので、ほどほどの距離感を保つ。

自分に嘘はつけない。
ただそれだけ。

多分、私は優しくない。
相手が求めている答えを知っているのに、敢えて口にしないのだから。
意地悪なのかもしれない。大人には、特に意地悪な気持ちになりがちだ。
子どもたちには、快くできることも、大人にはやってあげたくなくなることもある。何故だろう?と思うと、それは、自分の役割とか、範疇を超えていて、それをしたら、「私」でなくなることを何処かで感じているからかもしれない。

どんどん長くなってきてしまった。1万文字超えのお返事になってしまいそうだ。

最後に、AOIROさんが書いてくださった〈家族〉についてお返事したいと思う。

わたしはおそらく、家族という概念に対してある種の失望のようなものがあったのだと思う。
というか、家族の愛というものがよくわからなかった。親が子に向ける愛、というのも意味不明だった。物語などで見る類のそれは、フェアリーテイル、まさに御伽噺だと思っていた。
どこか遠い世界にあるもので、なんだったらフィクションで、人類が夢見ている幻想なのだろうと思っていた。
だからこそ、やなぎださんご一家のあたたかな営みを見ていると、「家族」という概念が幻ではなかったことに驚いた。
子供を大切に思う親は、いるのか!
という驚きである。
わたしにとって、親は鎖だった。
濃い繋がりも、鎖のようなものだった。
だから、「愛」という言葉は鎖だと思っていた。
もちろん、今となっては全くもってそんなことは思っていない。
愛ってなんだろうと思って考え続けたおかげで、少なくとも「鎖」以外の側面もたくさん見つけた。
その上で、親子関係に関してはやっぱりどこか幻想的だな、とも思っていたから。
でも、「幻想」だと思っていても、やっぱり愛は鎖ではなくて、柔らかな眼差しなのではないか、祈りではないかと、思っていたから。
だから、やなぎださんご一家の関係性を見たときに、大いに、なにかが癒やされたのだ。
そうだよね、と。
そういうあたたかな、自立した関係性は、親子関係は、幻ではなかったですよね、と。
そう思ったのである。

AOIROさんの中の家族という概念。

私も、「理想の家族」などというものは、この世に実在していない、あるとしたらテレビドラマや小説の中だけで、自分からは、遠い世界のものだと思って育ってきた。

だからといって、自分が思い描く「家族像」があったかと言えば、なかったように思う。正しくは、「描けなかった」のだと思う。だから、結婚にも希望を持つことはなく、自分が子育てをするなどということは恐ろしいことだと思っていた。

AOIROさんとまったく同じとは勿論言えないが、何処か似たような感覚で、家族や親に失望し、諦めていた。

私は、母親に愛されているという実感がもてなかった。

親としては、生み育てる過程で、大事だとか、可愛いとか思ったかもしれない。でも、子どもたちが、それを「愛」と感じるかどうかは、また別の話だと思う。親がどんなに「あなたを愛している」と思っても、子どもの側で「愛されていない」と思ったら、それまでなのだ。

親側にしたら、そんな身も蓋もない、と思うかもしれないが、それは現実だと思う。それくらい、個人の感覚の温度差や事実解釈の違いというものがあるものだと思っている。

長男が産まれた後、「母性」とは何かを悩んだ時期があった。「自分には母性が欠落しているのでは」と。母性とは何なのだろう、ふんわりと、やさしく、安心する愛情を受けたことがない私は、母親に内包される感覚がわからない。モヤモヤとした私は、幼稚園のベテランスタッフにそのことを話したことがあった。すると、こう返ってきた。

「あなたに母性がないとか、そういったことではなく、あなたの思う〈母性〉というもの自体が、幻想や思い込みかもしれないよ。」と。

目から鱗が落ちまくった。

私は、自分の母親の様になりたくない、と思って生きてきた。そして、母のようには子どもたちに接しないと決めている。しかし、〈母親〉のモデルとしては、自分の母親しか知らないので、苦悩していた。

〈母〉というキーワードから連想するもの、あたたかさ、やわらかさ、受け入れる、やさしさ、などが、私が感じ求めていた〈母性〉だったのかもしれないとその時に思った。でも、それは、もしかして、ひとつの刷り込みかもしれないとも思った。

「幼稚園の先生とか、保育士さんと結婚したい」と、のたまう男性に嫌悪感しか抱かない。子どもたちのケアをするのは仕事だが、アナタは子どもではない。勘違いするな、と。こういう男性は、「幼稚園の先生や保育士は誰でもやさしくケアをしてくれる」という刷り込みをされているのだろう。

家族や母性についても、そうなのかもしれない。

「こんな家族だったらいいのに」「こんな母親になりたい」と願ったところで、現実には、そうならない、なれないことが多いのではないだろうか。そもそも母親である前に、「自分がどういう人間であるか」が先に在り、そこに「母親」という役割がパズルのピースのように、くっついて、私の一部となった気がする。

家族の構成員はそれぞれのバックボーンと生まれながらの違いを抱え、そこに存在している。「船の乗組員」と似ているかもしれない。それを互いの特性や技術や知識を出し合って協力し、大海原を旅する。

家族のかたちは、今だけのものであって、また形を変えていくだろう。

私も、夫も子どもたちも、それぞれの「自分として」我が家という船に乗り合わせた乗組員なのだ。喧嘩もするし、意見の相違もあるし、持っている性質もそれぞれ。

「家族の愛や親子の愛情って、なんだかんだ言って、泥臭いものだよね。」夫がそんなことを言った。

愛や愛情、それを題材に取り上げられる家族や親子関係、母親や母性を、綺麗なものとして祀り上げたのは、いつの時代からなのだろうか。AOIROさんは、史学の専門家でもあるので、このことにも精通されているのかもしれない。

私の浅い知識の中では、ギリシャ神話の神様たちもそうとう泥臭い、血生臭さを感じる家族や親子関係であったと認識している。

それでも、この海を渡るには、そこそこ協力しなければ生き延びられない。色々思う所も、合わない部分も無いわけではないけれど、嵐を越えて、この海を超えるのが先決だよね。じゃ、ひとまず、話し合って、摺り合せて、協力しあうとしますか。

私にとっての家族は、いまのところそんな感じである。

母性に関しては、自分が母親として、優しくも柔らかくもない、世の中の人々の多くが思い描くだろう〈母性〉とは遠いところにいる母親だと、未だに思っている。けれど、人として、子どもたちと出来る限り良い関係性を構築したいと思っている。

子どもたちが、「自分を好き」だと感じ、「自分の好きなことをやれる」その根っこが育つことを邪魔せず、見守る。根っこがしっかりしていたら、どんな嵐にも耐えられる。幹を太くし、葉を茂らせ、おひさまをたっぷり浴びることができる。

ドラマにもなったことがある医療漫画の中に、「無限の樹形図」という言葉が出てきた。主人公は、「子供のいのちを救うことは、未来を創ることだ」
と語る。映画「ペイ・フォワード」では『もし君たちが世界を変えたいと思ったら何をする?』という問い掛けがあるが、それにも似ていると思う。目の前のことを、できる限り丁寧に、誠実に、やっていくだけなのだと思う。

フェアリーテイルや御伽噺ともかけ離れている、なかなかに泥臭い家族を、
「あたたかな、自立した関係性は、親子関係は、幻ではなかった。」と言ってくださるAOIROさんに、深く感謝したい。そんな風に言っていただけて、明日からもまた航海を続けていけそうです、嵐の荒波が来ても乗り越える力をいただきました、と。

AOIROさんのお手紙に、返事を書く。

どんなことを書けばいいだろう?と思う部分と、思わない部分があった。
しかし、タイトルだけは、お手紙をいただく前から決まっていた。

「青」という色は、どんな色なのだろう。

AOIROさんは「青」という色がお好きだという。私も色の中で一番惹かれるのは青だ。そして、AOIROさんのイメージは間違うことなく「青」だ。

しかし、そこで、ふと思うのだ。

「青」という色は、どんな色なのだろう?と。

青(あお)とは、基本色名の一つで、晴れた日の海や瑠璃のような色の総称のことです。原始的な露草の花による摺染の後、ほとんど藍染によって染め出されました。青は古くから広い範囲を示す色名で、植物の緑色や黒、白をも指しており、平安時代には青色といえば青白橡(あおしろつるばみ)のくすんだ橙味のある黄色でした。現代ではシアン色のほか、空や海や水の澄んだ色、青葉や野菜の青物など緑色系統の色をもいいます。加法混色における三原色(赤・緑・青)のひとつです。

「伝統色のいろは」より

「青」といっても、様々な「青」という色がある。

画材を使われるAOIROさんに色のことをお話するというのは、どうなのだろうとも思うのだけれど、そもそも、「青」とはどんな色なのだろう。AOIROさんの書かれるものを読み、描かれるものを目にする度に、その言葉が浮かんでくるのだ。

私が認識する「青」がAOIROさんの「青」ではないかもしれない。そもそも、青というのは、どういった色で、どいうった存在なのだろう、と考えるのだ。

AOIROさんを思った時に、心に浮かぶ「青」という色。

そして思うのだ。

この「青」に名前など、呼び名など、付かないのではないだろうか。
名前など、付けてはならないのではないだろうか、と。

それでも、敢えて言うならば、

〈青でしかない、青〉

そんな風に思うのだ。


そして、こちらの記事。

この中で、AOIROさんは、「球体」という単語を使っている。

「知」というものはもっとずっと、球体なのだ。
丸くて、繋がっている。
地球みたいな感じ。
ブラジルと日本はつながっていません、ではないはずだ。ぐるりと一周、まわるみたいにして繋がっている。
「知」だってそうだ。美術も歴史も音楽も生物学も何もかも、結局はぐるりと回るみたいにして繋がっている。
そして、体と心、頭だって繋がっているのだから、知識と体験はつながっていて、それがすなわち「知」なのではないだろうか。
だからやっぱり、オールブルー
わたしは繋がった世界を、アートするみたいに夢見ている。夢を見ているだけでは退屈だから、遊んでいる。遊ぶみたいに学んでいるのだ。

「子どもは球体」

子どもたちが通う幼稚園の園長の口癖である。
球体だから、ひとつの角度から判断して子どもたちを見ても、その本質には決して辿り着かないよ、と。

AOIROさんの観ている、見ている世界も球体。
そのまあるい世界の中で、遊ぶみたいに学ぶ。

遊ぶみたいに学ぶ

これは、学びの本来の姿である気がしてならない。

AOIROさんの言葉や絵に触れる度に、私の心は震え、首がもげるほど頷き、力強いガッツポーズを何度もし、励まされる。

AOIROさんが遊ぶように学ぶ球体の何処かで、繋がる線の何処かで、青い世界の何処かで、こうして出逢えたことは、喜びでしかないのだ。



AOIROさん、気がついたら、1万字を超えていました。笑
お返事を書くのに、時間がかかりスミマセン。
AOIROさんの記事はどれも魅力的で、あのことも、このことも、と思ったのですが、書ききれませんでした。

「整えるという概念」のことや、「愛する木」の記事のことや、「オールブルー」のこと。私はONE PIECEではサンジが一番好きです、とか。笑
もっとAOIROさんの記事を紹介したいと思ったのですが、往復書簡を(勝手に)意識し、極力、いただたお手紙に沿った形で書いてみました。

しかも、長々書いたのに、まとまっていなくて、申し訳ない気持ちでもあります。

AOIROさんの世界に触れる度に思うのは、「男前だ」ということ。
性別関係なく、私は、男前な心持ちの人が好きです。ジェンダーの観点からいったら、男前はあって女前はないのか、男の人らしさを求められてきた時代のこと、みたいな話になるのかもしれませんが、それはひとまず置いておいて。

「誠実」と「潔さ」

AOIROさんだけが持つ〈青〉に私はこれからも惹き込まれていくのだと思います。

AOIROさん、素敵なラブレターをありがとうございました。
いだたいラブレターを何度も取り出し、読みかえしては、そっと胸にしまうことを繰り返すと思います。

往復書簡・ムック本化を夢見て。笑

あ、最後に、AOIROさんの記事の中で、ものすごく好きな部分を。

おわり。とか おわり!

で、終わるところが、大好きです。笑

とても素敵なお手紙をありがとうございました。

やなぎだけいこ


いいなと思ったら応援しよう!

やなぎだけいこ
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!