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漫画みたいな毎日。「手袋を落とす時は、片方だけ。」
この冬の札幌は、根雪(春まで解けない積雪)を未だ迎えず、子どもたちは、「まだ雪、積もらないの?」と毎朝、窓の外をうらめしそうに眺めている。
今朝は、わずかながら、やっと庭に雪が降り積もっていて、「雪だるま作ろうよ!」と、張り切る子どもたちと、家事を一通り終え、一緒に家の外に出た。うっすらと道路は白く覆われている。
雪を触るには、手袋が必須だ。
子どもたちとそれなりに長い時間を雪の中で過ごすには、手が冷えないこと、足が冷えないことは大事なポイントだ。
スノーグローブの下にもう一枚、手袋を重ねよう!
ふと手にとった私の手袋の片方は、紺色。
もう片方は、赤。
どうしてかと言えば、それは、私が、ことごとく手袋を片方だけ落とすからだ。
はじめは、紺色の手袋を使っていたが、いつの間にか片方になり、夫が使っていない赤い手袋を借りていたのだか、今度は、その赤い手袋も片方落としてしまった。
〈買い替えかなぁ。・・・あ、そうだ、紺色の手袋が片方あったから、色違いで使ってみよう〉
そう思いついた。
そんな経緯で、片方ずつ違う手袋をしている。
どうして片方だけ、落としてしまうのだろう。
買い物や運転で、はめたり、はずしたりし、使わない時には、コートのポケットに入れる。
いや、正しくは、「入れたつもりになっている」。
ポケットに入れたつもりになり、そのうちに子どもたちの動きに意識が行き、買い物の算段など考えているうちに、手袋は何処かへと行ってしまう。
不思議なのは、その後、無くした手袋は、決して出て来ることはないということだ。
そういえば、子どもたちがまだ歩けないくらいの赤ちゃんの頃、履かせていた小さな小さな靴下は、いつも片方だけいつの間にか無くなっていた。
そして、気がつくとクローゼットの引き出しには、片方だけの靴下でいっぱいになっているのだ。
これもまた、不思議。
夕飯の支度をしながら、「片方だけの不思議」について考えていると、こんな言葉が、ぽっかりと浮かんで来た。
「片方だけ無くなるのは、あんまり、きちんとし過ぎない方がいいから。」
一生懸命過ぎたり、忙しすぎたり、頑張り過ぎたりしている時、ちょっと抜け落ちる部分が、人には、少なくとも、私には、必要なのかもしれない。
ちょっとだけ、自分の中の空気を入れ替えしておこうか、ということだろうか。
5本買ったはずの歯ブラシが、帰宅したら4本になっていたとか、車のトランクを閉め忘れたことに気づかず、発進し、道路に買った物をばら撒き、あとから来たタクシーの運転手さんが親切に拾ってくれたとか、クリーニング屋さんから仕上がった夫の白衣をカートに掛けたまま帰宅したなども、空気の入れ替えだろうか。
・・・いくらなんでも、換気の頻度が多すぎるのでは?
そんなこと思いながら、色の違う手袋をしみじみと眺めるのだった。
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