漫画みたいな毎日。「50年という時を共に過ごす。」
二男のギターレッスンの待ち時間に、スーパーで買い物をしていた。
私が野菜売り場をうろうろしていると、近くに初老のご夫婦が居たのだが、旦那さんが、おもむろに、カゴに茄子を入れた瞬間、傍らに居た奥さんが物凄い剣幕で、怒り始めた。
「私は、なすびが嫌いだっていってるでしょ!50年も一緒に居るのに、どうして覚えられないの!?」
「・・・。」
旦那さんは、奥さんの言葉にまったく反応せず、さっさと他の場所に行ってしまった。
奥さんは、茄子を棚に戻しながら、まだ気持ちが治まらないようで、「50年も一緒にいて、なんでわかんないのかしら。」と小声で呟いてた。
それは、お怒りごもっとも。
「50年連れ添っている妻の好き嫌いひとつ知らないなんて、私のことをなんだと思っているのよ!」
奥さんは、そう言っているように私には聞こえた。
私の両親も例外ではなく、世代なのか、性格なのか、父は母の好き嫌いを知らなかったと思う。母は少なくとも、父の嗜好を把握していた。
奥さんは茄子が嫌い。でも、もしかすると、旦那さんは今日は、茄子が食べたい気持ちだったのかもしれない。いつもは遠慮していても、そんな気持ちから、ついつい茄子を買い物カゴに入れてしまったのかも・・・と勝手に妄想する。
それにしても、なんというか、夫婦って面白いな、と思ってしまった私は、失礼だったかもしれないが、ちょっと笑ってしまったのだ。
すると奥さんは、私に気がついて、
「ねぇ?50年も一緒にいるのに、覚えないのよ!どうかしてるわよね。男の人ってねぇ・・・。」と笑っていた。
「そうですねぇ。男の人って、そういうところがあるかもしれませんねぇ。でも、これで今日からは覚えられるかもしれませんよ。」と、笑って返すと、「そうねぇ。そうかしら。そうだといいんだけどねぇ・・・。」と奥さんは笑って旦那さんの行方を追いかけていった。
50年。
半世紀の時をこのご夫婦はどんな風に過ごして来られたのだろうか。
なんだかんだと小言を奥さんに言われつつも、見事に完全スルーしている旦那さんは、50年で奥さんのかわし方を習得したのだろうか。
奥さんは、ご主人が記念日なども覚えておらず、その度に「覚えてないの?!」と不機嫌になりつつも、「仕方ないわねぇ・・・」と折り合いをつけてきたのだろうか。
失礼ながら、そんなことを想像しつつ、一緒にお買い物にくるのだから、
なんだかんだ仲良く暮らしていらっしゃるのかもしれない、どうぞお元気で、と、余計なお世話でしかないことを心の中で思いつつ、ご夫婦の後ろ姿を見送った。
夫に、「今日、こんなことがあったの。」と話すと、「僕も気をつけよう・・・〈私がパイ生地嫌いって知ってるよね?〉とか言われないように・・・。」と真顔で言っていた。
私は、パイ生地のサクサクとした食感が苦手だ。口の中でもそっと乾いた感じが苦手なのだ。一方、夫はサクサクした食感のものが好きだ。私は自分では食べないが、夫にはパイ生地のお菓子をよく選ぶ。もしも、彼が、私が苦手なことを忘れてパイ生地のお菓子を買ってしまうことがあったとしても、夫が自分で食べれば、なんの問題もないと思っている。私は私で好きなものを自分でチョイスすればいいだけの事なのだから。
でも、パートナーが「自分の好みを把握している」ということは、「興味を持っていてくれる」「理解しようとしてくれている」と思えることも、わからないではない。
嫌いなものを覚えないことがイヤなのではなく、自分に関心を寄せてくれないことに、茄子が嫌いな奥さんは怒っていたのかもしれないなぁ・・・と夕飯の支度をしながら、ぼんやりと考えたのだった。
私と夫は結婚して14年、出逢ってもうすぐ20年になる。
20年前と変わっていないようでいて、確実に変わっていることが沢山あるのだろう。
夫に「20年前と変わったことはなんだろうね?」と、尋ねたら「身体と心のやわらかさかな。やわらかく保ちたいね。」と述べていた。
心も身体も、やわらかく。
幼い頃から身体が硬い私には切実な問題である。
30年後、私達は、どんな夫婦になっているのだろうか。
そんなことを考えながら、週末に夫と二人で飲もうと思って買ったお手頃のスパークリングワインを冷蔵庫入れるのだった。