漫画みたいな毎日。「恋する凡人。」
「天才だったらなぁ・・・。」
自分が天才でないことを、なんとなく嘆く気持ちになることが時々ある。
そんなことを随分と前に書き、ずっと下書きに入れたままになっていた。
すると、大好きなnoterさん・akmitaさんのこちらの記事が公開された。
陳腐な感想ではあるが、「わかる・・・」と思った。
同時に、彼女の持つセンスと才能を、彼女の紡ぐ言葉から日々感じている私は、「自分にはないセンス」だと思って憧れている。素敵だな、と嬉しくなる。
私も多くの事柄から、投げ出していることを気が付かれないようにそっと手を引いて、あきらめてきたと思う。
でも、そういう経験から自分の得意不得意を知ってきた部分もある。「自分がやりたいこと」と「自分にできること」は違うのだな、と気付くことは、悪いことではないと思っている。
「天才」に憧れるのは、天才ではないからなんだよね、としみじみと思ったりする。
車の中で、スピッツの「恋する凡人」を聴いていて、凡人である自分のことを考える。
そうか。
凡人であるから、私は、様々なことに憧れるし、恋するかのような、熱を持てることがあるんだ。
〈矛盾だらけの話だけど 進化する前に戻って 何もかもに感動しよう〉
今まで憧れてきた、様々なことに想いを巡らす。
頭の中にずっとぼんやりあったものが、ハッキリと目の前に現れた時のことを。
美しい凛とした背中を持つひとに
愛されて育ってきた強さを感じさせる笑顔に
やわらかな雰囲気を纏うひとに
懐深くに入り込む声の周波数に
ピアノを弾くために生まれて来たかのような指先に
流れるような生き方に
目の前に広がる自分の描きたいと思っていた言葉や絵に
持ち得ないからこそ、私は、憧れる。
それもまた、凡人の特権かもしれない。
「才能をみつける才能」というakmitaさんの言葉が、じわじわと心に染み込んでくる。
一方で、やりたいけど、うまくできないかもしれないけれど、チャレンジする時には、決意が必要だと腹を括る。
〈恋する凡人 試されてる 狂った星の上 やり方なんて習ってない 自分で考える 〉
そんな感じが嫌いではない。
時には「できること」を超えて、「やりたいこと」に照準を合わせて、舵を切ってもいいと思う。
さぁ、これからどっちに舵をきろうか?
akmitaさん、記事をシェアさせていただきました♪何か不都合がありましたら、お知らせください!
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!