漫画みたいな毎日。「あかりを灯すような美しさを。」
2022年の締めくくりに、「良い思い出には恩返し、悪い思い出には100倍返し」の決意について書かせていただいた。
結論から言うと、2023年は、痩せます!という宣言だった気がしているが、
痩せたいという気持ちはどこからくるのか?といつも考えている。
私の中で痩せたいという気持ちは、決して誰かに綺麗だと思われたいとか、
褒められたいとか、そういった類のところからくる気持ちではなく、あくまで、
「自分で自分が好きな状態で在りたい」
というところから来ているのだと思う。
正しくは、痩せることが目的ではなく、自分が心地よく過ごすためのひとつとして、「痩せる」ことがあるのだと思っている。
人によって体質は様々で、食べても太らない人もいれば、ちょっと食べても身になる人もいる。私は確実に後者だ。おそらく、滞りやすい体質なのだと思う。
振り返れば、小さい頃から我慢することを美徳と刷り込まれてきたので、そういったことも要因のひとつだと思っている。刷り込まれたものを取り除くことは、多大なエネルギーと時間を要する。
痩せる=快適な暮らし
であると思っている。あくまで、これは私にとって。
痩せたい理由は、もうひとつあって、やはり好きな洋服を綺麗に着たいということ。ここで言う綺麗は、先程も書いたが、対外的な価値観ではなく、洋服の本来持っている美しさや形を損なわないこと。
人は、誰しも、自分の中で「美」というものへの基準があると思う。
「美しい」と、心を動かす部分は、本当にひとそれぞれだろう。
時に、「美しさ」に共感し、共有したりするが、きっと寸分違わず同じではないのだろう。
私が、ずっと思い続けていることがある。
美しく生きたい。
それは外見のことを取り上げていっているのではなく、自分の中で、「美しい」と思える行為を、その一線を、忘れずに暮らしていきたいのだ。
人に対する姿勢や、
自ら行う行為や、
投げかける言葉も、
そして、自分自身への扱いも、
できるかぎり、自分の中での「それは、美しくないんじゃない?」という側に、足を踏み入れることがないように。
美しさとは、何か。
私の中の美しさとは、あかりを灯すことに似ている気がする。
派手で、きらきらと眩しくて、目を覆うようなのものではなく、
ほんのりと煌めき、ふうわりとあたたかく
両手でそっと包み込みたくなる。
そして、その中の何処かに、凛とした潔さをも感じる
そんな「あかり」。
自分の中に、誰かの中に、「あかり」をみつける喜び。
自分の中の「あかり」を、絶やさないように。
誰かの中の「あかり」を、絶やさないように。
誰かの中に、
いつのまにか、
そっとそっと、
ささやかでも、ほんのりとあたたかい、
あかりを灯すことができたなら、本望かもしれない。
スピッツの「あかりちゃん」。
この曲を聴くと、どこか切なくなる。でも好き。