じゅうぶんに、甘えたらいい。じゅうぶんに、甘えさせたらいい。
「子どもたちに甘いなぁ。」と、よく夫に言われます。
自分では、自覚がありません。
「甘い」とは、どんなことだろう?と日々、考え、思います。
そんな夫も自分の母親に、「子どもたちを甘やかしている」と言われたこともあるようで。
お互い様のわたしたちです。
こどもたちを、「甘えさせてはいる」かもしれない。
でも、「甘やかしてはいない」と思っています。
甘やかす、というのは、親側の都合だと思っています。
甘える、ということの主体は「こどもたち」です。
甘えたいこどもたちを、受け入れることが、単に「甘えさせている状態」なのではないか、と認識しています。
「もっと厳しくしないと、大人になって困るのでは?」というご意見も耳にするのですが、
「本当にそうなのかな?」とずっと考えています。
厳しさにも、いろいろある。
そもそも、厳しいってどんなこと?と考えるのです。
私自身は、「親に厳しくされてよかった!」と思うことがありません。
それは、「親が親の都合で子どもに対して、厳しいと思うような対応をしていたから」ではないかと思っています。
「子どものことを思ったときに、そういう選択をする」という結果が、子どもにとって、厳しいと感じる事になった、ということはあり得るのかな、と思います。
我が家のこどもたちは、12歳、8歳、3歳ですが、み~んな、
「寝る前の歯磨きを、してほしい」と言います。
まぁ、3歳はねぇ・・・、と思う方も多いかもしれません。
でもね、8歳だって、12歳だって、してほしいのです。
〈自分でできるけど、してほしい。〉
そこは、歯磨きの問題ではなくて、身体はすっかり大きくなって、そういった意味では、自分のことは、自分でできるわけですが、やってもらいたい。甘えたい。という気持ちがあるのを根底に感じます。
夫は、「自分でできるんだからやりなよ~」とやや突き放し気味ですが、私は、できる時はやってあげてもいいんじゃないかな、と思っています。
たいした問題だとは、思えないからです。
いつまで続くか、といったら、そう長くない。
近い将来、お母さんにベタベタするのも、恥ずかしくなり、嫌悪感を抱くようになるでしょう。
20歳になって、「歯を磨いて欲しい」と言われたら、流石に断りますしね。
まぁ、そんなことは、まず、ないと思っています。
ある夜、末娘のもちもちほっぺたが気持ちよくて、触ったり頬ずりしていたら、二男が、「自分もやってほしい」とアピールしてきました。
二男は、ちょっとサイズが大きくなってきて、ほっぺも固くなってるしなぁ~、と数秒、頭をよぎったのですが、その数秒の思考を見透かしたように、末娘が、私の目をじっとみて・・・
「・・・してあげたら?」 と。
そうだよね。
してあげたら、いいんだよね。
歯磨きして欲しがっても、べたべたしたがっても、それはずっと続かない。
甘えたいなら、甘えればいい。
私も、夫も、ある意味では子どもたちに甘やかされていると思っています。
お互い様、だよね。
子どもたちと、ワイワイガヤガヤと仔犬や仔猫のように、じゃれあう日々を、心から懐かしく思う日も、きっとそこまできているのだと思います。
だったら、十分甘えたらいいよね。
外野から、「あーでもない、こーでもない」と言われても、気にすることはないと思います。
大事なのは、目の前にいるこどもたちと共に、安心して日々を過ごすことなのですから。