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学校に行かないという選択。「such is a life!」ま、そんなもんだよね。
先週から、子どもたちが、英語を習い始めました。
習うに至るきっかけは、
二男が幼稚園に在園していた2年ほど前。
幼稚園のスタッフのお義姉さんご夫婦が、スコットランドから日本に帰国していまいた。
そのお義姉さんのパートナーであるGさんはスコットランドの方でした。
日本の暮らしになかなか慣れないスコットランドから来たGさんは、森の中にある幼稚園で過ごし、子どもたちと関わることを楽しんでいる様子でした。
我が家の長男も二男も英語が全くわからないにも関わらず、Gさんと仲良くなり、一緒に虫採りをしたり、お弁当を食べたりして過ごしていました。長男はお弁当を持ってきていなかった彼に、よくお弁当を分けて一緒に食べていたようです。
いつもニコニコしている二男を可愛がってくれ、人当たりはソフトですが、すぐに人に懐くタイプではない二男も彼のことがとても好きになったようでした。
彼の温和で明るく、押し付けがましいところのない雰囲気は、我が家の子どもたちには親しみやすかったようで、英語と日本語で会話している場面を度々見かけました。
でも、彼は、英語教室の先生の職に就くことになり、幼稚園で見かける機会が少なくなってしまいました。
子どもたちは、「英語を習うなら、Gから習いたい!」と英語という単語が出てくる度に言い、「G、元気にしているのかなぁ・・・」と、顔を合わせる機会が無くなってしまって2年程たっても、我が家の会話の中に彼の名前が上がるのでした。
そんな中、長男は「海外に行きたい。海外の生き物のことも知りたい」と言い、「英語って話せた方がいいよね?」と思っているようでした。
英会話スクールも検索したり、子どもが英会話スクールに通っている友人に聞いてみたりもしましたが、ピンと来ない。
「やっぱり、Gに教えて欲しい。」
私たち家族の希望は一致していました。
習い事だけではないですが、「何かを教わる時」は、「何を教わるか」よりも、「誰から教わるか」の方が、大事だと思うのです。
私も幼少期、いくつか習い事をしましたが、「あの時、違う先生から習っていたら、どうなっていたかな・・・?」と思い返すことが度々あります。
個人的には、教える側の立場にいる場合、「できる限り教えない」というスタンスを持っている方がいいなと思うのです。
うまくいえないのですが、〈教える→教わる〉という上から下への方向性が強すぎると、その事柄を楽しいと感じる前に、「やらねばならないこと」に変容し易くなる気がするのです。
夫が、幼稚園のスタッフに何度か連絡を取り、そこから彼の近況も聞き、それを踏まえた上で、「どんな形であれば、彼の日々の暮らしに無理がなく、こどもたちに英語を教えてもらえるか」をやりとりしてくれ、やっと、先週から、子どもたちの希望通り、「教えてもらいたい人から英語を学べる」ことになったのです。
2年ぶりの再会。
子どもたちは、彼の名前を呼んで、早速ハグ。Gさんも、こどもたち一人ひとりに「大きくなったね!」などと声をかけてくれていました。
こんな経緯で、こどもたちは「自分が教えてもらいたい人」から英語を習うことになりました。
Gさんは、自然が好きな方で、スマホが苦手なスコットランド出身の方。車より自転車が好き。どこでも自転車で行き来します。自然が好き、人間の暮らしもそこに則しているほうが心地よいと考えているようなので、山に近い場所でのんびり暮らす我が家の生活にも通づる感覚があるようです。
彼は、「英語は難しい。でも、心配することはない。言語としての英語を学ぼうとすれば、自分のようなネイティブスピーカーでも、辞書を引かなければならないくらいだよ。でも、一番大事なのは、コミュニケーション。言語としての英語は二番目。楽しく、コミュニケーションできるのが、大事だと思ってる」と話してくれました。
Gさんは、日々、幼稚園や保育園で英語を教える仕事をしているそうで、2歳や3歳の子どもたちと触れ合うことも多いそうなのです。
しかし、保育園で、小さな子どもたちに先生が「静かに!」「座りなさい!」と連呼し、無理やり座らせて英語のレッスンを受けさせる様子がとても辛いと話していました。
我が家のこどもたちに彼は、
「君たちは、学校に行っていなくて、とてもラッキーだよ!」と繰り返し言っていました。
私も夫もそこまで英語が細かく理解ができないのですが、彼がどうして「学校に行かないことはラッキーだ」と考えるに至ったのかを、これから少しつづ知ることができるのではないかなと思っています。
そして、学校に行かない選択をしている我が家のこどもたちにとって、これ以上の英語の先生はいないなぁ、私たちこそ彼に出逢えてラッキーなのです。
子どもたちと会話しながら、遊びながら、英語でのやり取りをする。
子どもたちも、「Gとは、英語でなくても、気持ちが通じるんだよね」というベースがあって、学ぶことができる。
本当にラッキーなのです。
レッスンの帰り際、Gさんが、「こどもたちは兄弟喧嘩するの?」と聞くので、「年中してる!」というと、「Such is a life!」と笑っていました。
「such is a life」
「ま、そんなもんだよね〜。」という表現は、様々な事柄から、良い加減で距離を取らせてくれる言葉だな~と感心してしまいました。
兄弟喧嘩?
そりゃ、するよね。
ま、そんなもんだよね。
学校に行ってない?
いろいろな選択があるもんね。
ま、そんなもんだよね。
うん。いい感じだ。
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