漫画みたいな毎日。「お菓子の世界。中編。」
思いがけず聞いたクラシック音楽「お菓子の世界」。曲名が美味しそうで、お菓子のことを書いていたら、予想外に長くなってしまったので、前中後編に。単なる食いしん坊の記事にお付き合いいただければ嬉しいです。(ちょっと長いです・・・。)
前編はこちら。
「どうしてふとるのかしら?」という一言について書きたかっただけなのに、何故かお菓子のことを調べることになっている当記事。しばしお付き合いいただければありがたい。
第11曲 ヌガー
気になった私は、リューベッカ社のことを調べてみた。
1903年に創業され、『常に最高の製品を作り、高い評価を維持し、そして常に前進していく』ことを基本にしているそうだ。
ここでまた疑問が。マジパンローマッセというのは、何か?である。このHPを読んでいくと、マジパンローマッセというのは、アーモンドと砂糖、水を決まった配合で混ぜて丁寧に練り合わせた、日本でいうところの〈餡〉のような存在らしい。
100年以上、無添加・無着色で伝統的製法を守り続けているというのは、言葉で記すように簡単なことでないだろう。ヌガーのことを書こうと思ったのに、マジパンローマッセのことになってしまった・・・HPに製造過程の動画があるのだが、ヌガーの製造過程もマジパンローマッセの製造過程も美しい。
マジパンは、焼菓子用生地への練り込み(バター生地、スポンジ生地等)、フィリング、クッキー生地、クリーム、プラリネチョコレートのフィリング、シュトーレン/デニッシュの練り込みやフィリング、トルテ/デザート類のカバーリング、マジパン細工などに使われるのだそうだ。
で、ヌガーって何?である。ヌガーにも色々と種類があるらしく、
一方、ジャンドゥーヤ(gianduja)とは、ローストしたヘーゼルナッツまたはアーモンド(またはその両方)に砂糖を加えてすりつぶしてペースト状にし、チョコレートを混ぜ合わせてローラーにかけたものを指すのだそうだ。主にチョコレート製品に広く使われていて、ケーキのデコレーション、ペストリー、デザートやビスケットのフィリングなどのも幅広く使うことができるそうだ。
リューベッカ社のヌガージャンドゥーヤの製造過程。美しいので是非ご覧いただきたい。
台湾ヌガーというものも流行っているようだ。
こちらのHPにヌガーについてわかりやすく記載されているのを発見し、ここまで私が書く必要とかあったのだろうか・・・と思う次第である。
もっとヌガーについて詳しい方もいらっしゃると思うが、私が今回、気になったのは、「リューベッカ社」の存在だった。100年伝統的製法を守り続けていること。素材選びも製法も丁寧にしているように感じられる。企業としてそのようなことを続けていくのは、システムの構築は勿論、働いている方々の意識も根付いているのだろうなと想像する。工場見学とかできるのだろうか。世界工場見学の旅とかしてみたい。絶対面白いツアーになると思う。
第12曲 ソフトクリーム
今、ソフトクリームというと様々なご当地ソフトクリームがある。酪農王国・北海道。牧場あるところにソフトクリームあり、という気がする。車を走らせれば、あちらこちらで〈ソフトクリーム〉というのぼりをみかける。富良野でラベンダーソフトを食べたことがあるけれど、ほのかなラベンダーの香りがしたという記憶程度。ケーキやおむすび同様、「シンプルなソフトクリームが好き。」である。新鮮や牛乳あってのシンプルなソフトクリーム。
私が子どもの頃は、ソフトクリームといえば、クリームの形になった蓋がついてるアイスクリームがソフトクリームだった。
棒アイスよりもちょっと高級な気がして、そのソフトクリームを選ぶ時は、ちょっとウキウキした記憶がある。ゆっくり味わって食べているとコーンがすぐにしなしなになってしまい、コーンの一番したから溶けたアイスクリームが滴ってきて慌てて食べる。このソフトクリームを選ぶ時は、「どこからどうやって食べたらアイスが垂れて来ないだろうか」を真剣に考えていた昭和の子どもである。
ソフトクリームを選ぶときに迷うのが、アイスクリームコーンだ。「コーンにしますか?カップにしますか?」問題があると思う。子どもの頃は、断然、コーン派だった。コーンにも種類があって、すぐに柔かくなるタイプと、ワッフル生地を焼いたような固めのタイプ。
日本で始めてソフトクリームコーンの製品化をしたのが、日世(ニッセイ)。当初はアメリカから全てを輸入していたのだそうだ。
ワッフル記事は、柔らかいうちに巻いて形成するのだそうで、技術者の方々が試行錯誤したのだろうなぁ。それにしても、ソフトクリームに合わせてあうコーンを開発したりするあたりが、日本人の職人気質なのかもしれない。
〈ソフトクリーム〉とは和製英語。英語では”soft serve (ice cream)”または”whipped ice cream”と表現するらしい。知らなかった。
第13曲 ボンボン
ボンボンと言えば、中にウイスキーが入ったウイスキーボンボンを思い出す。ボンボンの語源はフランス語のボンbon(よい、おいしい)が幼児語のボンボンになったものなのだそう。
綺麗な色とコロンとした可愛らしい形が、まるで宝石みたいで、これはさぞかし美味しいお菓子に違いない!と思って口にするのだが、周りの砂糖コーティングが溶けて中のウイスキーが口の中に広がった途端に目が覚める。そして、そのお酒の苦味に後悔するのに、「今度は美味しいかもしれない!」と何度か口にした。何度食べてもウイスキーボンボンの中身はウイスキー。学習しない昭和の子なのだった。
第14曲 鬼あられ
甘いものが苦手な子どもだった。クッキーよりもお煎餅が好きだったし、お団子は断然、餡団子よりも、みたらし団子。プリンよりもゼリー、チョコレートよりもサラミが好き。将来は酒飲みになるのではと思われていた。お煎餅と一口に言っても、様々な種類のものがある。薄焼き煎餅もあれば、甘辛い揚げ煎餅、ガシガシっとした歯ごたえのある草加煎餅。その中でも〈あられ〉というと私の中では、様々な味わいのお煎餅がミックスされて楽しいという記憶がある。
鬼あられとは、栃木県宇都宮市の名産品で、「雷の多い土地」である雷都と呼ばれてきたのだそう。雷をイメージし、雷から連想される「あられ」と「鬼」のイメージ・豆(ピーナツ)を組み合わせたものが〈鬼あられ〉。
2023年気象庁によると、実際に雷が多い地域は、年間の雷日数では、石川県金沢市がダントツ1位の45.1日。 ちなみに2位は新潟市で34.7日、3位は鹿児島市で27.4日、4位は宇都宮市で26.5日、5位は福岡市で25.5日だそうだ。
お正月に食べそびれたお餅を乾燥させ、揚げて揚げ餅にしてもらうのは、とても楽しみだった。あられが、このように神事と関係しているとはまったく知らなかったが、食べ物とは、人々の暮らし、歴史、土地と深く結びついているのだと思う。
人は皆、何かを口にして命を繋いでいる。
食べ物の歴史を調べると、自然とその年代の背景や暮らしを感じることができる。今は、日本にも海外の食べ物がたくさん入ってきているので、その食べ物から、未だ訪れたことがない土地の空気や歴史を垣間見ることができたとき、そこで暮らす、暮らした人々を思い浮かべる。
第15曲 マロングラッセ
マロングラッセを好んで口にすることは、殆どなかった。
ブランデーも子どもには苦味としてしか感じられなかったし、栗の食感があまり得意でないからだ。もそもそっとして口の中で水分が取られる感じが苦手なのだ。芋・栗・南瓜、どれも得意ではない。
しかし、南瓜王国・北海道に移住し、南瓜を食べる機会は増え、末娘が薩摩芋が大好きなので、畑で薩摩芋を育てることになった。そして、近所で栗拾いをする機会があり、お正月の栗金団のために、必死に栗拾いをすることになった。
今まで栗の皮を剥く経験などしなかったけれど、子どもたちと楽しく、真剣に栗拾いをするのは面白い。手が痛くなるけれど、栗用のハサミを駆使し、栗の皮を剥く。皮を如何に剥きやすくするかを調べ、お湯に浸してから剥くようになってからは、時間がかからなくなった。栗拾いの時に長男の頭に栗が落ちてきて、大変な目にあったことも、今は懐かしい。ヘルメット着用は必須だ。
そういえば、北海道に来て驚いたのは、お赤飯の小豆が甘納豆だったことだ。マロングラッセとは関係ないけれど、北海道に来て、カフェで食べた栗おこわの栗が甘露煮だったので驚いたことがあった。栗おこわを食べながらマロングラッセのことを思い出したのだった。
マロングラッセの歴史につていは諸説あるようで、フランスではマロンはマロニエ、栃の実であるとか、後に栗で代用するようになったとか・・・。
マロングラッセは、マケドニアの英雄であるアレキサンダー大王が最愛の妻のために贈ったとされたことから「永遠の愛を誓う証」として男性が女性に贈るお菓子へと発展したらしい。
夫にもこの話しておこう。
近々、マロングラッセが夫から私に贈られるかもしれない。笑
お菓子の世界は奥が深く、調べれば調べるほど、人々の暮らしや生活に結びついていて、前編どころか、中編でも書き終えることができませんでした・・・。6000文字超えてしまって自分でもびっくりです。どこまで書くか迷いつつ、自分がお菓子を通じて、様々なことを知ることができて、楽しくもあります。後編に続くので、お付き合いいただければ幸いです。
学校に行かない選択をしたこどもたちのさらなる選択肢のため&サポートしてくれた方も私たちも、めぐりめぐって、お互いが幸せになる遣い方したいと思います!