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正しい野望のトリセツ《林真理子×はあちゅう》
はじめに
あなたの直径5キロ先にいる人を、そっくりそのまま真似してはいけない。その人はあなたよりも美しく見える。瞬間瞬間への鬼気迫る集中と時折見せる若々しい弛緩。戦う前からどう見たって完敗なのだから、自分から負け戦を仕掛けに行ってはならないのだ。
と言うのは、今からわざわざ負けに行こうとしていたあなたを批判しているわけではなく、むしろ自分への戒めだ。大学時代とある講義でメンターという言葉を知ってからというもの、メンターやロールモデルといった「指導者」「手本になる人」に首ったけな私。「こうなりたい」と憧れてしまった人は、今まで数え切れないほどいる。実際、メンターを教えてくれた先生だって美人スモーカーでロックな先生だったから、小さく芽生える憧れはゼロではなかっただろう。
結論、ロールモデルなんかいない。懇切丁寧に教えてくれるメンターもいらない。「この人のこんなところが素敵」と思える沢山の人たちの小さな要素ひとつひとつを吸収して、自分の頭で考えて、ひたすら行動するのみ。正しい野望のトリセツを一言でまとめるとこうなる。
しかし、そうまとめて言われても困ってしまう。参考にしたい人はいても、自分の頭で考えるとはどういうことか?どんな行動をすれば良いか?そもそも参考にしたい人はどうやったら見つかるのか?もっと具体的な格言がほしい。
私自身、林真理子氏の『野心のすすめ』を読んだ時にこんな疑問だらけになった。
自分でちゃんと努力をして、野心と努力が上手く回ってくると、運という大きな輪がガラガラと回り始めるのです。一度、野心と努力のコツをつかむと、生き方も人生もガラッと変わってくる。
忘れてはなりません。空の上から自分を見ている強運の神様の存在を。強運の合格点を貰うには、ここぞというときに、ちゃんと努力を重ねていなければならないことを。その「ここぞという機会」を自分で作り出すのが、野心です。
《身のほど知らずな大きな望みを抱くこと》野心と野望の意味を調べてみると、違いはほとんどない。『野心のすすめ』とはあちゅうさん『半径5メートルの野望』の2冊を読んでも、ふたりの言う野心と野望にもさほど違いはなかった。身のほど知らずな夢や目標は害ではなく、一度きりの人生を謳歌するためのエネルギーである。強い女がふたり、私の手の中で輪唱していた。
ただ、それぞれ書き方が異なるのだ。林氏は野心の原液、一番濃い部分に的を絞って書いていると思う。面白いエピソードの間に、どきりと迫ってくる本質的な言葉の数々。「野心があるなら動きなさい。なければ見つけなさい」本の登場人物に発破をかけられ、それがターニングポイントになったことなら、読書家の方なら一度たりともあるだろう。『野心のすすめ』はそんな感じ。作家であるだけに、林氏自身が主人公となってあなたの大事なきっかけとなる濃い本である。
それに対してはあちゅうさんは、やはりブロガーの先駆者がにじみ出た書き方だと思う。敬愛してやまない林氏の野心を継承しつつ、良い塩梅の希釈液を混ぜて薄めたものを、もっと沢山の人に広がるように表現してくれる。“野心に見合った努力”という抽象を、より具体的にかつ読者に考えさせる余地を残して教えてくれるのだ。“いけいけどんどん”のバブルを知らない世代だからこそ、今の若者でも再現性の高い努力の方法を論理立てて説明できるのだと思う(近年何かと話題に登ることの多かった彼女のパリピ的なイメージは、この一冊でガラリと変わります)。
『半径5メートルの野望』を読み始めて間もなく私は、「これでやっと『野心のすすめ』をもっと深く読める!」と嬉しくなった。そして、最強の教科書に最高の参考書を手に入れた喜びが、自分で考えてちゃんと行動できる人になるための足がかりとなった。ならば次はこの学びを、必要としてくれる誰かにnoteで届けるしかない。いや、必要とされなくても、今の私ができていることとできていないことを振り返るために、noteにしよう。私にとって読むことと書くことは同義なのだから。
(前置きが随分長くなりました。結構大事なことを書き切った感あるので、お時間ない方はここまで読んでくださっただけでもありがたいです。ありがとうございます。)
1.『夢へのファストパス』
『苦しさと向き合う勇気がないと、夢を生きる権利はない』
「このnote、自分が設定した期限までに公開できないかもしれない」今の私はとても苦しい。締め切りに間に合わず絶望している姿が脳裏にちらつく。できることなら投げ出して、アルフォート食べながら音楽聴いたりYouTubeの料理動画でも観たりしたいところだ。
でも、今投げ出せば自分が駄目になることはわかっている。今すぐじゃなくてもだんだんとサボりが蓄積し、1回の駄目が1週間の妥協を呼び、やがて1ヶ月の堕落となり、一生分の大打撃になってしまう気がするのだ。だから今が正念場。黙って書き続けるしかない。
夢を持って生きる人は、起きている時間の半分くらいは苦しいのだと思う。1日のうちに必ず「今日はこれをやるはずだったのに、思う通りに進まなかった」という悔しさがある。その一方で、前向きに取り組めていたとしても、ふと気づくと「私の夢って本当に叶うのだろうか」と疑っている自分がいる。後悔と不安は夢追い人に付き物なのだろう。
そんな雑念ばかりではいつまでたっても夢は叶わない。
今この瞬間を真剣に生きる以外に、夢へのファストパスはないのだと思い知ったのです。
著者だってかつては、思いつきのまま行動し、頑張っている風の自己満足屋だったらしい。人生を変える覚悟や努力が足りず、人と違うことをする勇気も足りないのに、なぜ上手くいかないのか?と悲劇のヒロインぶっていたという。私もそうだったし、今も気を抜けばそうなりかねないので共感する。
ただ、「ブログを書く」という半径5メートルでできる日常に目を向けて、それに集中するようになってからは劇的に人生が変わっていったという。
悩んだり不安になったりする時間があるのなら、小さな小さな第一歩を踏み出してみること。そしてそれに真剣になる=夢中になること。そのために、他人に見せられないクオリティの低さを受け入れることが、まずは大事だと私は考えます。とっかかりが億劫ではなくて、下手くそな自分を抱きしめられる何か。それはつまりあなたが一番楽しく、当たり前にできることです。
2.『正しい努力は、楽しい努力』
自分の人生に対する誇りは、努力と葛藤からしか生まれないと著者は言う。前述の後悔や不安という辛いものが葛藤だとすれば、努力はきっと素晴らしく楽しいもののはずだ。だって辛いだけなら、この世で夢を叶える人なんていないはず。楽しいことが嫌いな人間なんていないのだから。
「自分の書いたものを一人でも多くの人に届ける」という夢に向かい始めてから、私の生活は嘘みたいに楽しくなった。丹精込めた文章がたとえ誰にも響かなかったとしても、書いているあの時間はとにかく楽しかったし、文章として思考をまとめられたのだから、きっと今後の人生に活きてくるだろうと思えるのだ。充実した日々とはまさに。
一つずつ着実に叶えていくことによって、例えば、週末がちょっといつもより楽しくなったり、新しい自分を発見できたりするはずです。
本当にそうだ。自分の身近でできる「この本を読み切る」「noteを公開する」そんな小さな努力=夢の実現でしかないのだけれど、外出して遊ぶのがメインの週末よりも、家にこもってコツコツやってる週末の方が好きになった。そんな休み、側からは疲れそうに見えるだろうがそんなことはなく、良い休みだったなぁという心からの実感を伴って週明けを迎えられている(実際独り言で「良い休みだったなぁ」と言ってるし)。
だから、執筆と読書は私にとって当たり前の「単純作業」で(もちろんツイ廃やったり“ヲタクな自分”を降臨させてる時の方が楽しい日もありますが)、必ず楽しいという「感情」を連れてきてくれるものなのだ。
※章題はp.126から引用。
3.行動とは「感情」と「単純作業」
はあちゅうさんは具体的に教えてくれる人、とこのnoteの冒頭で書いたくせに、今のところ夢と努力に関して抽象的な話になってしまっている。
やっとここで、“正しい野望のトリセツ”の中核部分と言える、野望を使いこなす方法の話ができる。その方法とは行動である。
著者は行動を「感情」と「単純作業」に分けているが、前者は「それをすると絶対に楽しいはず!」という期待、モチベーションだ。楽しさについては2章で触れているので、ここでは後者について記したい。
本書は、野望を正しく使いこなすための色々な行動を提案してくれる。
・一度手をつけておくことで、後からの「やらなきゃ」を誘発させる
・創作やアイデアの実現が上手くいかなかったら、一旦寝かせる
・自分もとりあえず十分に睡眠をとる
・時には睡眠不足になることも厭わずに、練習や作品作りに打ち込む
・尊敬したい人の情報源を真似る
・万人受けよりもマニア向けを試してみる
・お手本にしたいものを研究する
これら全ての第一歩は単純作業である。パソコンを開く、ペンを握る、布団に入る(人によってはお風呂を沸かすとか、ヨガマットを敷くとかかもしれない)…分解すれば何だってできるはずなのにできない。それはなぜか。「ゴールした自分」に目を向けてしまっているからだと思う。
今の私が書いているものはエッセイや本の紹介文だ。これはひとまず書けているのだから、夢が叶ったと言える。でも当然今のままで満足はしていない。もっと多くの人に届けたいし、note週2投稿でヒーヒー言ってる自分を変えていきたい。
そしてこれから書きたいのは小説だ。散文詩にだって興味がある。でも悲しいことに、やっぱりnoteを書くことで精一杯でこちらに関してはまだ一切力が及んでいない(幸い散文詩は3ミリくらいなら動けているから、ちかいうちにnoteで公開できそうだ)。
noteを公開するときの達成感はいつも忘れられない。小説も一度は書いたことがあるから、「書こうと思えば書ける」自分を想像してしまう。達成できた自分、ゴールした情景が頭に浮かんでしまい、「今すぐにできる単純作業は何だろう」の視点が欠けていると思う。
そんな状態の今の私にとっては、お手本の研究が課題だ。どうすればもっと他人の書いたものに関心を持てるのだろうと、下手すれば自分を責めてしまいそうになる。それでもできる単純作業とは、「楽しそうな小説や本を調べる」ことと「文学フリマの日程をスケジュールに入れる」なのだと思う。
4.思考は深化となる
行動が進化なら、思考は深化。この一言で終わってしまいそうになるほど、ここで伝えたいことはシンプルだ。
みんな、外に解決法を探しすぎなのです。
何かヒットさせる方程式があるんじゃないか。人気ブロガーには共通点があるんじゃないか。そんなふうに、分析することももちろん大事だと思うけれど、一番考えなければいけないのは、「自分は何のためにブログを書きたいのか。ブログを通じてどういうことを世の中に発信したいのか」です。
それは、自分の内側を掘らないと、出てきません。外ではなく、中に中に掘っていく。答えというのは、外にあるとは限らないのです。
他者の研究もしつつ、それ以上に“書くことへの目的意識”を研ぎ澄ませること。何を書くか、何のために書き続けたいのかという疑問に答えるのは、他の誰でもない自分自身。今まで生きてきた自分の総決算が選んでくれるものだ。
この疑問をさらに分解すると、自分は世の中のどんなことを“俯瞰的”に見つめられるか、社会の何に“反感”を持ち続けられるか、になると私は思う。オリジナルな言い方にはなったが、要は問題意識だと解決策だよ、と著者は言う。
これから紹介したい本の中には、私の仕事(障害福祉)の専門書も含まれている。専門書と言っても学術書のような難解なものではなく、障害者の支援を仕事にしている人や、障害ある子をもつ親御さんでも読めるもの。実際に当事者と関わる上で大事なことが書かれているのはもちろんだが、あまり関わる機会のないその他の人々にも響く素敵な言葉が並んでいる。
障害福祉がもっと身近なものになれば良いのになと思うし、支援者がもっと楽に働けたらとも思う。これが私の問題意識なのだろう。箸にも棒にもかからない解決策かもしれないが、私は書くことを選んだ。我を忘れて楽しめる大事な世界とミックスさせて、小説の題材にもするつもりだ。
と、こんな風に考えられたのは孤独な時間がたっぷりとあったから。著者も、
孤独な時間は自分自身の内面と対峙している時間で、人生には、そういう時間も必要です。(中略)誰かとの時間が発散だとすると、孤独な時間は収束です。
と述べている。行動→他者との交流→発散→進化 の流れと、孤独→思考→収束→進化 の流れ。2つのバランスを取らないと「浅い人間」になるか「ひとりよがりな人間」になってしまう。他者との交流と言っても新しい人間関係を作らなければいけないわけではなく、元々親しい人との食事でも良いのだと言うから、著者は陰キャに優しい。それが許されるのなら今の私は、絶妙なバランス感覚で生きているのかもしれない。
5.気持ちよくなることに気前よく投資する
あなたの人生は誰も変えてくれない。変えられるのはただ一人、あなただけである。そうは言っても、じゃあどうやって変えれば良いのか。努力や思考だけでは疲れてしまう。睡眠以外の休息がないと人間は生きていけない。
ここまで来るともう、お金の出番である。お金をかけて美味しいものを食べる、新しい服を着る、旅行に行く。どれも自分の気分を良くし、遠回りではあるが人生を変える行動ではある。
いきなりの収入アップを狙ってはいけない。正しくは「お金をかけて、お金では得られない力を養う」だと言える。
何かを「お金にする方法」は、「お金を使わないと身につかない」
著者はお金を理由に行動を制限するのをやめ、夢に基づいた正しい欲求に従うと、不思議とお金が貯まるようになったらしい。
私にとってのそれは資格を取ることだ。来年は自閉スペクトラム症支援士という資格をとって、自分の書くものに“上手に利用したい”と思っている。知識をそのまま執筆の内容に活かせるだけではなく、知識があることで労働の時間と質を自分でコントロールできるようになる、と言うのが目指したい“仕事の利用”である。
自閉スペクトラム症支援士を取るには、思ったほど時間はかからないのだが結構なお金がかかる。まぁそれでも、変わらない日常の中で今まで見たことのない景色を見てみたいので取ることにした。資格を活かすも○すも自分次第なので、心配がゼロでもないのだが。
資格なんて大それたものへの投資だけではなく、自分が気持ちよくなることなら何だって良い。例えば旅先で泊まるホテル。実家が遠いので帰省では前泊する時もあり、最近は少々贅沢だが宿泊代を思い切ってみることにした。すると不思議なことに、いつも泊まる時ならやらない寝る前のヨガと読書を、ウキウキしながら行ったのだ。ホテルの価格、という贅沢に見合った行動ができたのだと思う。「ここに泊まるならちゃんとしなきゃ」なんて使命感が働いたのを今でも覚えている。
贅沢は味方だけど、妬まれなきゃいけないねと歌ったのは椎名林檎。お金の使い道を周りに理解されなかったとしても、それがちゃんと夢の実現に繋がっていて、周りに影響された欲求ではなく自分で主導権を握った上での欲求に基づいているのなら、堂々とお金を使えば良いのだ。
6.自分の主導権を自分でしっかり握る
生きている限り、周りの人や環境からの影響を受け続けるもの。大事なのはそれらに流されず、自分で自分をコントロールすることだ。
主導権を自分が握ることを絶対に許さないと、「時間の奴隷」になってしまいます。
時には時間(職場)の奴隷になってしまうこともある。人間ならしょうがない。特にお人好しは。でも絶対に、自分の行動基準は絶対に死守すること。私にとってのそれは毎日の創作時間と、その時その時で自分が一番好きな世界に浸ることだ。最近まで季節の行事で特に忙しかったけれど、そこは絶対に譲らなかった。「もっとやらないと周りが困るかも」という心配は大抵間違いで、「周りの心配するくらいなら自分を労わるべき」が正解だと身をもって学んだ。
また、時間をコントロールするという意味では「やること」と「自分の変化」を整理しておくことも大事なのだと、著者は教えてくれた。私はひとつひとつのタスクにどれくらい時間がかかるか見積もるのが苦手だ。だから今も日付が変わる時間に追われている。スケジュールの余白を取ることは著者だけでなく、沢山の人が声高に言っているが、どうも予定や計画といったものへの真剣さが足りないのだと思う。
計画とセットで行われる振り返りも、特段していない。例えばこの1ヶ月で自分はどう変わり、次はどこを変えるべきなのか……なんてアロマキャンドルでも炊きながら自分を静かに見つめるひとときが必要なのかもしれない。できなかったことを後々もう一度振り返る、というのが好きではないのだと思う。できたこと、も過去のことだからあまり興味なかったりする(その割には自分の過去記事よく読んでるけど)。
ただ、苦手を克服するのも大事な一方で、どうにも上手くできないことを受け入れ、長所を武器に突破していくことも、自責感や劣等感から解き放たれて心を安定させることだろう。逆説的ではあるが、私にとってはタスクも結果もあえて整理しないことが自分のコントロールとなり、気持ちを落ち着かせているのだ。
終わりに
この記事の全部が、これまでロールモデルを追い求め「こんな人になりたい」欲ばかり先立っていた自分への戒めである。それと、これから新しくnoteや発信活動をしていく友人たちへの手紙でもある。
だから私は戒めに従い、はあちゅうさんにも林真理子にもなろうとしない。それでもこれからずっと覚えておきたい彼女たちの言葉は沢山ある。
本当はあとふたつ、はあちゅうさんの素敵な考えを書きたかった。以下で引用する。
会いたい人にこそ、気軽には会わない(中略)人と人との関係は、ただ会うこと自体や会う回数にはそれほど価値はなくて、対等な立場で話した時に、同じ目標を見ていたり、心から理解し合えたりすることに、初めて価値と喜びがあるのだと思います。
覚悟というのは運を運んできてくれるのだと思います。
執筆の終わりが見えてきた今思うのは、「頑張らなければ」この一言に尽きる。もう夜も遅いのにここまで何とかかけたのは、ただひとつ私が頑張ったからである。頑張らなくても良い、は頑張ってる人にこそ真実で、頑張ってない人にかけてはいけない言葉だ、とはあちゅうさんも言っていた。
書き出しから終わりまでずっとハードモードだったこのnoteの終わり。林真理子氏の言葉を餞けとしたい。
自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食いしばってでも頑張ってみることです。