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感情任せに写真を撮ること・それを残すこと
感情を優先して写真を撮ってみたことはありますか?
写真は自由に撮れるものだけど、露出やピントなど、ある程度良いとされる型は決まっていますよね。でも私は時折、上手いとか下手とか写ってるとか写ってないとか、そういうのを取っ払い何にも縛られずにカメラを使うのが楽しい時があります。
今日はそんな時のお話です。
それは目の前の被写体の魅力を引き出すよりも自分の感情が優位になる、とても自分本位な撮り方で、世間一般では邪道というのかもしれません。
でもピントなんて合わせたくない日もあるし、全部どんより暗くしたい日もあるし、ハイライトなんてどこかへ飛んでいってしまえと思う日もあるし、さらにミストフィルターをかけてもう何もわからないようにしたいと思う時があったり。
目の前のものを写したいのに写したくなくて、ぶんぶんカメラを振ってわざとぶらしたくなる日もある。
それを後で見返してばかばかしいと思っても、その時そうしたいと思ったのなら、心のままにやってみるのが結局一番安らぐんです。
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写真は目の前のものを撮るだけでなく、その瞬間の気分とリンク出来るのが面白いなって思うんです。
気分(一瞬の感情)を切り取れるのは数百分の一秒もあれば形になる写真ならではで、ある程度時間が必要な絵にも音楽にも文章にも真似の出来ない、写真だけが出来ることかもしれないと思うと、ことさら時には邪道な写真を残してみるのもいいなって思ったり。
別にそれらはSNSに上げる必要もないし、デジタルの場合現像すらする必要がないかもしれない。自分の気分をそのまま収めて、それで完成。
誰にも見せない写真に意味はあるの?って思う人もいるようだけど、私は基本的に未来の自分が見返して楽しみたいために撮っている部分も大きいので、大いに意味はあるのです。
(Xにおいては4枚の組み写真にひっそり心情優先の写真を混ぜることで物語性が出てなかなか面白いものが出来たりするので、意外と写真として成り立つことも。綺麗な写真だけが受けるわけではないのがXの面白いところですね。)
もしそんな風に撮ったことないな、と思われた方も一度試してみると、新たな扉が開けるかもしれません。
もちろん扉が開かなくてただ微妙な写真がSDカードに増えただけでも、責任は負いかねますのでご了承くださいな。
普段はXに写真を投稿しています。
アルゴリズムとやらに翻弄されていいねが5000件だったり300件だったりなせわしないアカウントになってしまい、いいね数の確認を諦めたこの頃です。
— seina (@suna_photograph) October 19, 2024
安穏の瞬き pic.twitter.com/shQ27az8Yn
— seina (@suna_photograph) October 27, 2024
掬っては零れる pic.twitter.com/ymjAXoCupW
— seina (@suna_photograph) October 24, 2024