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趣味の写真と記録の写真の隔たり

次のnoteではあれを書こう、これも書こうと思ってるうちに気付くといつも日が空いてしまいます、こんにちは。

前回のnoteで感情のままに写真を撮ることがあると、まるで自由気ままに撮影しているようなおおらかさを持っているように書きながら、最近まで頭が凝り固まっていて上手くいっていないことがありました。
それは、趣味としての写真と、記録としての写真を頭の中で真っ二つに分けすぎていたことです。

そして最近ようやくそれらが溶解し、どちらも自分の写真だと思えるようになりました。
今日はそんなお話です。

前回の記事はこちら

例えばこの二枚。

左は青山のSOLSO、右は代官山のSOLSO。

植物屋さんを自分なりに素敵に撮りたいなと思ったら趣味のスナップ写真(左)になり、こんなお店あったんだ友達に教えてあげようパシャーっと撮ったら記録写真(右)になる。
他の人から見たらこの差は曖昧で自分の感覚でしかないけれど、私にとっては趣旨が変わるから別物の写真です。
これは普段趣味で写真を撮る人の多くも使い分けていると思いますが、この境目がかなりシビアだったんです。

以前の私にとっては
趣味の写真=写真を撮りたいという意思を持ってその地に赴き、心地よい画角や距離、視点を見つけて撮ったもの(主に一眼で撮りたい)
記録の写真=食べたものやお店の外観、観光地など写真を撮る目的以外で出かけた際に後で忘れないように撮って残しておくもの(スマホで十分)
という撮り分けをしていました。

食べる前にとりあえずスマホで撮っておこうな写真。
綺麗には残したいのでそれなりにちゃんとは撮る。とはいえ早く食べたい気持ちが優ってフォーク見切れてる。

自分で作ったわけでも盛り付けたわけでもない食べ物のの写真を撮っても、自分の写真だ!という気持ちにはなかなかなれなかったのです。例えば素敵なポスターをそっくりそのまま撮ったらそれは写真というよりほぼスクショじゃないですか。なんだかそんな気持ちになるものがとても多くて。
旅先の観光地などでも同じでした。一応カメラは持っていくけど、全然撮らないことも多々あったり。

以前の記事でエンタメ写真という発見をしましたが、決して記録写真を蔑ろにしているわけではないんです。撮ったり、残したりすることは楽しい。けれどそれは、わたしの趣味の写真からは漏れた、おまけのような扱いでした。

そもそもフィルムを使う時期が長かったせいでカメラ(一眼)で撮るということを神格化していたように思います。一眼のカメラは記録的な写真を撮るために使うものじゃないぞ、趣味としての写真を撮るんだぞと自らに暗示をかけていたのかも。

でも実際はスマホやコンデジなどでもそれなりにしっかり構えて撮ってしまうので後から見返すと本当に境目が曖昧で。これ、そんなに考えて分ける意味ある…?と片隅でもやともやしながら長い間過ごしていました。

↑みたいに、自然の多い観光地だと尚更趣味なのか記録なのか自分で定義していたはずのものが曖昧でよくわからないことに。構図や距離感など、趣味と定義している写真と全く同じでは……?と。

そして数年前くらい前からついに、少しずつだけど旅先の光景を全て一眼のカメラに収めるのもいいかも?お店の看板も食べたものも駅の様子も、これは趣味〜これは記録〜なんて無理して分けなくていいんじゃない…?別に素敵に撮れなくたって、撮りたいカメラで撮ったらいいのでは?と、ようやく柔軟な心が芽生えてきました。

旅の写真を楽しく残せればそれでいいじゃないか。
そう思ったら心が軽くなった。
お店のディスプレイとかも、カメラで撮ってもしょうがないとずっと思ってた。でももうそんなこと思わない。

このきっかけがなんだったのかは具体的には思い出せません。5年前に今でも相棒であるフルサイズカメラを購入したのが転換期だったような気もします。新しいカメラを買って浮かれていたのかな。

当たり前だけど、食事だってベストな角度や光の当たり具合などを考えて撮らないと素敵な写真にはならない。これが近所をうろついて撮った趣味写真と考え方が一緒だってことに、ずっと気付けないでいた。
だからまだまだ下手。

そうはいっても完全には融合出来ずにいたのですが、Xを始めたことでみなさん何気ない旅やお出かけの写真をとても素敵に残されてることにも影響され、とりあえずカメラで撮ってみよう、という気持ちを今年は強く持って過ごしてみました。
そうしたら、とっても楽しかった。

私はきっと、こういう何気ない写真を前からカメラで残したかったんだ。
逆にiphoneでスナップする機会も増えた。
撮りたい時に手元にあるもので撮ればいいんだ。
あと15proが好きすぎるんだ。

私はいつ何をどんなもので撮ってもいいんだ。ということに改めて気付き、趣味とか記録とか考えずに写真が撮れるようになったから、今年は本当に楽しく写真が撮れています。

こうやってひとつずつ悩みを手放して、僅かにあったであろう鋭さもなくし、さらっとしたつまらない写真を量産していくのかもしれません。だけど今はそれが酷く心地よく、愛しいから不思議なものです。



普段はXに写真を投稿しています。


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