愛謂(まなゆい)
おはよう。
今日は、明日からの職場の年明けの激戦がまた始まると思うと、げっそりする感じが否めない。
―この10日間、結局何もしなかった。
日頃出来ていないプログラミングの勉強、しようと思っていたのに。
―😫あぁ、私って未熟の儘、年取っちゃった🙁がっくり🙁ヤバす💦😓💦落ち込みそうだな。
昨夜、朝早くに目を醒ます癖を付けようと、夜、早めに寝たので、朝、まだ真っ暗な5時前ごろに目が醒めた。目を醒ませた猫が腹を空かせて私に餌をねだったので餌をやり、自分の朝の薬と昨夜、呑み忘れていた薬を呑み、暖かい湯を呑んで、また床に入り、2時間半くらい仮眠した。
いつも8時に目覚ましにしていた日曜のニュース番組の特集番組が7時半に開始された。半分うつらうつらしながら、番組を見るともなく観ていた。
このところ、数日、自己肯定感が少なく、自己効力感は皆無だ。自分が暗い。なぜこんなに短期間に落ち込むのだろうか。
昨夜、コレクションの中から、「自分再発見」のビデオを見ていたら、精神科医の樺山紫苑先生が、YouTube配信の講義で、
「自尊心を傷つける自己否定トークが一番心に残り、自分を傷つける。だから、否定的な事が心に浮かんだとしても、口に出すな。瞬間的に忘れろ」、
と言っていた。
―あぁ、そうだ。何か、忘れていたよね。
落ち込む他人を励ませた自分が、実は自分に自信を失っている。こう言う休みが7日以上続き、長くなると、他人と話をしなくなるので、😫暗くなる。
番組を結局見終えて、暖かいセーターに着替え、ホットカプチーノを呑みながら、PCを見て、また明日から会社かぁ、と考えていた。
ふと、自分の背中を押す為に、過去の自分が、他人を励ましていた自分の随筆を読み始め、ひすいこたろう先生のポジティブトークを点けて聴いたら、はっ、と気づいた。私は、愛謂を忘れていた。
他人にアドバイスしていた自己効力感と自己愛の言葉を、私は自分にするのを忘れていたのだ。
Self-Blessing: 自分を受け容れ、認め、赦し、愛しています、と言う自己肯定感の祝福と癒し
シェイクスピアの言葉を使って、そのビデオでひすい先生は言った。
「何が起きても、避ける事が出来ないなら、愛してしまえば好いだろう」
と。
避ける事の出来ない辛い事、嫌な事も、全て受け容れて、愛してしまえ、とひすい先生は言っていた。愛する対象にこんな否定感はついて来ないから。
嫌な事を言う相手も、
自分を否定する自分自身も。
受け容れ認め、愛して赦すのが究極のセルフメンタルケアだ。
そうだった。私、忘れていた。私って未熟だ。自分自身がいつも不完全で、自分を低く扱っていた。それを忘れる為に、この
「口癖」
を憶えたのに、私、このところ調子は良くなかったけれど、多忙にかまけて、見事に忘れていた。
未熟で大口叩いている私だけど、私は、そんな私を受け容れ、認め、赦し、愛しています。
プログラミングの勉強するって言って、何にもしなかった私。それでも、受け容れ、認め、赦し、愛しています。
職場の嫌な奴等も、好い奴等も、皆、受け容れ、認め、赦し、愛しています。だから、素直に会えて嬉しいと謂える様になります。
セルフブレッシングと言って、自分を自分で祝福する言葉だ。祝福とは、
先ず、受け容れ、
その行為と存在を認め、
その行為と存在を赦す事。
そんな人を我が身の様に愛してやる事。
良く、くしゃみをした後に周囲が Bless youと言っていたのを憶えていた。教会でも、Bless youと良く謂った。
愛謂は、自己愛を以て、自分に愛の言葉を謂って愛してやる事だ。私は、自分を愛してやる事を忘れ、赦してやる事が欠けていた。
とても反省した。
偉そうに私は何を言っていたのだろう。
同時に、愛謂が浮かんだ。
―自分を愛してやるのを忘れていました。そんな足りないところのある私ですが、私は自分を受け容れ認め、赦し愛しています。
―あ~、勉強していなかったなぁ。
勉強しないでのほほんと休みを過ごし、後悔しています。のほほんなCHACHAですが、そんな自分を私は受け容れ認め、赦し愛しています。
受容れる事、認める事、赦す事、愛する事は、全てポジティブな言霊で、この言霊を口にするだけで、脳的にも気持的にも、楽になるものである。一度、やってみると好い。
自然に、また単純に感じるかも知れないが、至極く自然に、自分が自分の未熟な部分を受容れ、認め、赦し、愛せる気持になって、感じられた。憑いていた蔭が肩に入っていた力を、抜いて出て行った。
あぁ、忘れてはいけない。どんなケアも、永遠に治癒するモノではなく、いつもメインテナンスが必要だ。自己否定感は、人間の考えの90%をなすものだから、自己否定から自身を守らねばならない。私は自分を守って居なかった。
私は不完全で未熟な自分を受け容れ認め、赦し、愛しています。
自分に謝った。
―ごめんね。ごめんね、否定的な事ばかり頭で考えて。あんなに勉強したんだもん、疲れちゃうよねぇ。休みになったら休みたいよね。休んで、良かったんだよ。そんなCHACHAを、CHACHAは受け入れるよ。未熟であろうと何であろうと、CHACHAは世界で一人だもん。CHACHAを否定する人なんて要らないし、CHACHAを受容れて愛してくれる人を受容れなきゃね。
落ちて、当たり前よぉ。そんなモンよぉ。
いつの間にか、私の頭の中は本田晃一先生の歌舞伎町のママ風の口調になっていた。歌舞伎町のママ達は、他人の辛さを一緒に感じて、抜き取ってやる。
考えてみると、自分の不健康が祟って病に罹った身体に、毎朝、感謝する事も忘れていた。動いてくれて、働いてくれて、有難う。心臓さんも、脳さんも、動いてくれて有難う。
CHACHA、私はCHACHAを受容れ、認め、赦し、愛しています。
樺沢医師の講義のビデオに頭を空っぽにして散歩しよう、と言っていたので、時間的にちょっと逆だったが (先生は、どんな人間も早朝散歩すべきだ、と勧奨していたが、早朝の時間帯は、私は出勤か家事で忙しい)、40分程弱懸けて、寒いけれど、夕日を見て音楽を聴きながら近隣を散歩してきた。まだ時間的に真っ暗ではなく、夕日が美しく、私達を照らした。久しぶりに気持ちよく、また、ゾクゾクする悪寒が歩く事で自然に無くなった。
―あぁ、好い気持ちだ。こう言う散歩って久しぶりだなぁ。
脳が今、脳内の整頓を実施しているのだろう。何も考えず、道なりに5千歩近く、歩いた。
自分を受け容れて認めてやり、赦して愛してやり、一緒に歩いて時間を過ごした。優しい自分の時間に感謝した。