『椿三十郎』に魅せられて4年後に『乱』の現場に立っていた。
浪人が決まった1980年の4月、テレビで『椿三十郎』を見た。
「こんなにテンポが速くて面白い映画は観たことがない!
日本人にもこんな凄い映画が作れたんだ。
黒澤監督はまだ生きているのかな?」
翌日から受験勉強そっちのけで、黒澤監督の事を調べた。
当時黒澤監督に関する本は4冊ぐらいしか出ていなかった。
「もし君が映画監督になりたかったら、映画学校に行ってもダメだ。人間を研究しなさい」
この言葉が私の心に突き刺さった。
「これで大学に行く理由ができた!」
大学に進学する目的が見つからず、勉強に打ち込めないでいた私は、黒澤監督の言葉に押されて猛勉強を始めた。
翌春、第1志望だった関西学院大学法学部法律学科に合格できた。
「映画研究部で8mm映画を撮ってコンテスで合格して、黒澤監督に観てもらおう。そして4年後には黒澤組のスタッフになるぞ!」と考えた。
2本の8mm映画に主演して1本監督したことがきっかけで、大学4年生の時に、映画『乱』のメイキング班のスタッフに採用された。
色々な偶然が重なって、夢が叶った。
1984年7月1日から丸1年間、10キロ以上の重いビデオデッキを担ぎながら、黒澤監督のそばで声を録音するのが役目だった。
マスコミが報じていた黒澤天皇という暴君はそこにいなかった。
情熱をもって現場を歩き回り、的確な指示を出し、穏やかな口調で俳優に演技指導する姿に、真のリーダーシップを見た。
以来映画界で働き、70mmドキュメンタリー映画の監督になった。
あれから38年がたった2022年、行方不明になっていた当時撮影した記録ビデオを見つけ出し、私費を投じて1本のドキュメンタリー映画にした。
その映画『Life work of Akira Kurosawa黒澤明のライフワーク』が、今年のゴールデンウィークにやっと劇場公開される。
4/29土~5/12金 ポレポレ東中野で『乱 4K』も同時上映される。
予備校の模擬試験の前夜だったにも関わらず、『椿三十郎』を見たことが、私の人生を変えた。
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