うつくしさにつつまれたなら
先日、こんなツイートを見かけました。
これ、カメラを趣味にしている人はあるあるだと思うんですよね。
でも、こんな話を聞いたり、実際に体験したりするたびに、「僕はカメラと一緒に“眼”や大袈裟に言えば“哲学”を一緒に買っていたんだなあ」と思うのです。
多分、この同僚の方は、カメラを記録媒体で、被写体は目的物という感覚なんだと思うんです。
僕もカメラを買ったきっかけは、息子が生まれたこと。
もともと興味はあったけれど、高いしなあ・・・と思い、手を出していなかったのですが、息子を大義名分に中古でfujifilmのx-pro2を買ったのでした。
つまり、まさに先のツイートの同僚の方おなじ感覚。
『息子という被写体の記録を目的にしている』という説明になります。
まあ、今もその目的は変わっていないのですが、カメラを買ったことで一番よかったことは、息子の成長を記録できている事ではなかったなあ、と思います。
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このnoteでも何度も書いていますが、カメラを買ってよかった一番のことは、「世界のうつくしさに気づく眼を手に入れられたこと」
カメラで息子を撮るようになって、特別な行事や出来事だけに価値があるのではなく、日常の些細な瞬間に眼を向けるようになりました。
そしてそれは息子がいなくても、ただの風景にも適用されていきます。
「なんか、世界、きれいだったんだな」
なんでもない風景(というか風景とも呼べない景色)にも、視点や角度、意識が伴うと、うつくしさがあるという気づき。
それは、もはやカメラや写真としての価値ではなく、意識改革や哲学と呼べるような価値体験でした。
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そしてカメラを趣味にするようになって良かったことがもう一つ。
それは世界に希望を持てること。
おおげさではなく、
「こんな些細なものさえうつくしいのだから、きっと」という希望。
世界が大変な状況だけど、落ち葉や、射す光、町並みなど、変わらない景色のうつくしさの希望。
そんな希望を持ちながら、次の年をねがっていきたいなあ。
写真は全てSIGMAのsdQuattroとLOMOのオールドシネレンズpo2-2m 75mm f2
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