LOOKBACKとコーネリアス
最近、話題になっている漫画の一つ。
『LOOK BACK』
チェンソーマンでも話題の藤本タツキ先生が、急にジャンプ+で掲載した読み切りです。
人とのコミュニケーションが得意で漫画が好きな藤野と、不登校だけど細密な絵が得意な京本の2人の小学生の話。
この2人が漫画を通して交流していくことでストーリーが展開していきます。
ぼくがこの漫画を読んだ感想で最初に出てきたのは
「辛いことも悲しいこともあるかもしれないけれど、漫画の持っている救いにすがって、前を向いて進むしかない」
でした。
時を同じくして、小山田圭吾さんが、過去の行動やインタビューがきっかけで、全国的に批判の対象となっています。
もちろんやったことや、インタビューで話している雰囲気は、とても辛いし、悲しいことだと思います。許せない人がいるのも、当然です。
ただ、それによって、デザインあが放送休止になったり、コーネリアスを発禁にしろという流れになったりするのは、違和感があるのです。
そう思う一つの個人的な理由として、「作者≠作品論」があります。つまり作品の良し悪しと作者のパーソナルを分けよう、という文学でも適応される考え方です。
ただ、もう一つ理由があります。
Twitterでこんなような言葉を、数多く目にしました。
「こんなことが明るみになっても、まだ小山田圭吾の音楽を聴いている奴らは同じ感性だ」
彼らが、言いたいことはわからなくはないです。実際に、あのインタビューを聴いて、コーネリアスを聞くことをやめた人もいると思います(今に限らず)。
それはもちろん、個人の自由です。「作者≠作品論」を振りかざして、「音楽に罪はないから聴け」なんて、毛頭にも思いません。
ただ、ぼくはコーネリアスも、フリッパーズギターも聴き続けよう、と思っています。
それは、いつだったかに、それらの音楽に救われたから。
悲しい時『恋とマシンガン』の明るさに、頑張れない時『ただのともだち』の精密さに、『point of view point』の革新性に、『music』の穏やかさに、助けられた経験があるから。
映像研の水崎氏ではないですが、「救われた自分を自分だけでも救いたい」「救われた自分をなかったことにだけはしたくない」
という思いです。
それは、コーネリアスだけではなく、
電気グルーブに救われたあなたに(自分に)
槇原敬之に救われたあなたに(自分に)
尾崎豊に救われたあなたに(自分に)
ビートルズに救われたあなたに(自分に)
太宰に救われたあなたに(自分に)
ピカソに救われたあなたに(自分に)
「大丈夫だよ」と言いたい
「あの時、救われたあなたは、間違っていない。大丈夫。」と言いたい。
もちろん、救われた自分と訣別した人もいると思います。それも一つの選択だし、否定されるものでもありません。
でも、もし、訣別できないことで悩んでいたり、社会的にこんなに批判されているのに、と悩んでいる人がいたら、
なんの社会的影響力もないけれど、なんの言葉の重みもないけれど、誰かに心無い言葉を浴びせられるかもしれないけれど、まあ、ただ、ここに書くだけじゃ誰にも伝わらないかもしれないけれど、
「あの時、救われたあなたは、間違っていない。大丈夫。」と言いたい。
『LOOK BACK』といえば、ぼくらの世代には欠かせない、oasisというバンドの曲が流れる人もいると思います。
藤本タツキ先生も漫画のなかに、仕掛けを残していました。
oasisの曲名は『Don't Look Back In Anger』
直訳すると、「怒りに任せて過去を振り返るな」でしょうか。
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