あたそ著「女を忘れるといいぞ」を読んで思うこと
女を忘れるといいぞと言いつつ、女を忘れる事が出来ない、他人の視線が気になって仕方ない、世の中の理想とする女というステレオタイプに、無意識に自分を当て嵌めていて、もがいている様が手に取るように感じられて、読んでいてとても辛かった…
twitterを眺めていても、彼女のような女性が多いなと感じる、今日この頃。
この本が共感を呼ぶのは、とても良く判る。
2002年 VoCEで安野モヨコが連載「美人画報」で初めて「女子力」という言葉を使った時、この言葉は女性達を楽にしてくれる言葉のはずだった。
自分の為に綺麗にしていると、良い事がある。
女子力は、あくまでも自分に向けての言葉だったはず。
自分の持つ理想の美への挑戦と追求。
そこには他人への視線は、皆無だったはず。
これは、美容オタクを表した言葉だと思ってる。
この頃、まだ女性は女性の味方だった。
ありとあらゆる女性達が、自分の為に綺麗になろう、自分の為に、自分の為にと、ありとあらゆる女性を生きやすくする為に、情報発信していた。
他人の視線なんて気にせず、好きなメイクをしよう、好きなファッションをしよう。
海外ドラマもそう、SEX AND THE CITYもそうだった。
このドラマを観て、楽になった女性も多いはず。
とてもポジティブに発信していた。
でも、この女子力という言葉は、20年近く経った今では、別の意味になってしまっている。
女子力ではなく、モテ力になってしまっていて、綺麗になるのも自分の為ではなく、他人の為だ。
それでは、さぞや今の時代は生きづらいだろうに。
そして、いつの間にか味方だった女性は、女性の敵になってしまった。
ニッコリ笑って、楔を打ち込んでくる。
こんな女はどーのこーの、こんな女はモテない、こんなメイクではモテない、こんなファッションではモテない。
モテって何?
万人にモテようとする事自体が無理な事ではないのか。
自分が大切に思っている人達のみに、モテれば良いではないか。
自分が大切に思う人達から、綺麗だ、可愛い、素敵だと言われれば良いじゃないか。
以前は、見た目より中身が大事と言われたけれど、今は中身もだけど、見た目も大事と言われる時代。
見た目を良くするのは良いけれど、未熟な形で見た目主義が伝わっているように思える。
見た目って、外見を清潔に保つのはもちろんだけど、自分の個性を活かす事だと思うんですが。
決して、世間一般でいう可愛いもの等に自分を当て嵌める事でもないと思う。
思うけど、日本生きづらいとか、女は生きづらいって言ってる人ほど、自分で生きづらくしていると思うよ。
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