キモチは変わる
なんだか悲しいニュースを見ると、
なぜ、どうして、そんなひどいことを、と驚くけれども、
【状況が変われば、人はどんな行いでもする】と言ったのは親鸞だったか。
罪を犯さずにいられるのは、心が清く正しいからじゃない。
条件がそろえば、誰でも、なんでもするのだと。
事件にはならなくても、
誰でもみんな、自分の中で、絶望したり憎んだり執着したり苦しんだり、ってあると思う。
でも、日々の生活にまみれていく。
忘れたり変化したりする。
好きってキモチも嫌いってキモチも、熱いまま続くことはない。
自分に対する憎しみも、誰かへの恨みも、ずっとは続かない。
消えなくても、形を変えるかも知れない。
時間さえかけることができれば。
だから、
すぐに結論を出したいキモチをおさえて、
時間をかけようって思う。
もうやだ、と思っても、
もうムリ、と思っても、
3分待つ。3時間待つ。3日待つ。
3ヶ月おく。3年経つ。30年過ぎる。
そしたら別の自分がいるはずだから。
(…とか思えるのも、本当の本当に追い詰められていないからなんだろな。)
でも。やっぱり。
ちょっと待ってほしいのだ。
我が子に手をかけたりしないように。
フラれたからって攻撃しないように。
ツラいからって自分を消さないように。
【3年後も同じキモチなら考える】
くらいの条件つけて、ゆっくり、急がずに。
待ってほしい。
待ちたい。
と、思う。