安川奈緒『MELOPHOBIA』を読んで日記を書く。20240417
ものを買って嬉しい時、この建物に俺と同じ気持ちの人がいることに絶望する。まんだらけで『書下ろしによる叢書草子3 吉岡実 異霊祭』を手に入れたこの感覚がほかに代わるものか!靴を買った人、帽子を買った人、いろいろいるだろうけれど(ここは高島屋だから)、この代替不可能性を言い表すにはMELOPHOBIA(音楽恐怖症)で居続けることしかないと思った。だって、
ああ。ひとりで朗読をやるからには音楽から離れようとしてきた。正確には歌から。身体のBEATを切断するような朗読、それは推敲であり、書き言葉を話すということであった。歌うな。書き言葉を話せ。俺は揺らめく身体を無理やり角ばらせて、この手の動きは映画でいう編集なのだと、観客は監督なのだと思う。
そう、そういうことだったりする。俺は神代辰巳ではなく、ベタにゴダールいる。こうやって書くと恥ずかしいけれど、俺のなかに確実にゴダールはいる。
身体のことを忘れることは詩を書いていてよくある。身体のBEAT つまりは心臓の鼓動だけと同期することによって詩だけが脈々と流れ出ていく。キーボードから指が離れる一瞬、その一瞬、身体があることを忘れる。その詩が良いものになるのか、そんなことはどうでもよくて、その感覚を持続させていたくて書く。推敲で詩は良いものになるのだから。書くあいだだけは自由にさせようよ。
俺は詩で「ビルディングも上から見れば全部黒点だ」というようなことを書いたが、この詩は黒点が川の流れであったり、漂流物のように存在している。この黒点とともに言葉がずっとつづく。トマト、という無意識下で発された言葉が装置となり本音が引き出される。そこからの流れはどうにもならない。だから引用せず終える。これから図書館へ行くから。
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