ポエジー家族展望20240830

パパァ…ママァ…ふたりの交歓は有限性のなかにあるよ。

俺は気づいていた。ゴーゴリ、あるいはゴゴリゴのこと。違うの?キャベツを茹でたら皿にひとまず置いといて、くす玉に目をやる。誕生日がきたら噛み付くことをやめられるのに。さっきスーッとした。『批評家失格』を読んだら。ちょっと手を休めて続きを読もう。キャベツをクッキングペーパーで包んで、冷蔵庫に入れておく。ギタァが鳴った。長女が弾いて、次女が「シーっ」と言う。そう、いまのはCコード。偶然の一致だ。

 私は、詩人肌とか、芸術家肌だとかいう言葉を好まない。実生活で間が抜けていて、詩では一っぱし人生が歌えるなどという詩人は、詩人でもなんでもない、詩みたいなものを書く単なる馬鹿だ。

小林秀雄『批評家失格』p129

濡れたコップで縁取った水跡をそのままにして、その上に『批評家失格』を置いてしまい裏表紙がテーブルにくっついて剥がれてしまった。家族で食事に使うテーブルは俺の作業机となっていて、本が積まれ、さっきのような出来事を繰り返すせいで紙の汚れがあちこちこびりついている。俺は詩みたいなものを書く単なる馬鹿なのか。胸ポケットに入っていたサングラスを籠へ放り投げた。いつまで入っているのか。テーブルを爪でこすり貼り付いた紙を少しでもマシにする。マシニストのクリスチャン・ベールほどの不眠症ではないにしろ、俺の眠れなさときたらポエジーの源泉となっているくらいだ。

長女「それで寝ないの?」
俺「誰も俺のことを実生活で間が抜けているだなんて思ってないはず」
長女「ほんと?」
俺「たぶんね。ゴーゴリとゴゴリゴだったらどっちがいい?」
長女「ゴゴリゴかな」
俺「じゃあ明日買ってくるよ」

妻は<非凡な問い>に夢中だった。ソファに座り、二十分ほど同じ姿勢を崩さない。俺は冷蔵庫に入れてあったキャベツを取り出し、手でちぎって皿に盛り付けてマスタードをかけた。魚肉ソーセージを添える。あとプチトマトを三つ。

長女「これは誰が食べるの?」
俺「架空のプードルさ」
長女「わたしにも見える?」
俺「・・・」

妻はおもむろにキッチンに立ち、料理をはじめた。俺の出番は終わった。テーブルに座りキャベツを食べながら『批評家失格』を読もう。それにしても小林秀雄の書くことには同意できない。すべて同意できない!

長女「どうして?」
俺「曽根富美子『含羞ー我が友中原中也ー』の小林像が嫌いだから」
長女「あんなのただの創作でしょ」
俺「・・・」





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