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「無敵の人」というネーミングについて思うこと
今言われている「無敵の人」って、あえて名づけるとしたなら、(語呂はよくないけれど)「絶望の人」とかだと思うのです。
「無敵の人」は、確かにキャッチーで、人口に膾炙しやすいのは分かる。
また、この言葉によって表現しようとしている事情との整合性もあながち間違いでは無いし、この一語で共通の概念を共有しやすいという意味で便利なのも分かる。
ただ、「無敵」という言葉をこういうケースに使ってしまうと、意図してなくても、「負の方向の万能感」を煽ったり承認したりするような側面がある気がしてしまう。
「無敵の人」の「無敵」が表現しようとしているのは、あくまでその人の「崖っぷち的不幸な境遇」の話であるはず。
にもかかわらず、もし、その「無敵」を根拠にしてヤケクソな思考に至ったとしても、「あ、そうですね、無敵ですもんね」みたいに、その思考までを無駄に肯定してる感が出るというか。
言い表す言葉を「ポジティブなイメージが強い言葉」にすることで事態が好転するのならば、そうすれば良いと思う。
けれど、今回のような、表すべき事象がどうしようもなく辛く悲しいことであるようなケースでは、揶揄するような雰囲気が出てしまうような言葉ではなく、「きちんとそれ相応の負の重みがある言葉」で表現した方がよいと、個人的には思います。