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「あ、これサイキックセンスだったんだ」と気付いた日/生きづらさを抱える子供たちへ
幼い頃、お風呂に入ると1時間以上はボーッとしていました
道行先、お風呂の中、公園、どこでも、何を見ても、そこから溢れるイマジネーションやインスピレーションがとまらず、時間が足りなかったのです
日本の夕方の夕日の侘しさとなぜだか抱く嫌悪
焼き鳥という🐓文字ののれんに号泣したり、
嘘をついている大人に違和感を覚えたり、
絵を描く時は頭の中に溢れ出る世界を実現しようと躍起になったり、
それはもう、目に映るあらゆるものから連想されるものに吸収される感じでした。
また、幼稚園児のころにみた強烈な夢―
暗いふたまたの滑り台をおりたさきに、また二手にわかれたトンネルがあり、どちらか選ばないと恐らくとんでもなく不幸なことが起きる。
失敗はできない、という夢―(この頃は二者選択を迫られる夢ばかり見ていた)は今も覚えていますし、
周囲の考え方、ものの見方に共感できず、
家では本の世界に没頭しました。
闇、夜が極端に怖く、小学中学年までは明かりをつけて寝ていました。
親に頼み込んで一緒に寝てもらうこともしょっちゅうあり、
夜中泣きながら親の部屋へ走る日もありました
また、特定の家や土地の空気を感じ取り、合わないととても居心地が悪く思うことも。
相手の感情の変化、意図が伝わってしまい苦しい時もありました。
そして、それらを周囲も当たり前のように感じているのだと思っていて、
そうでないと気がついた時(20歳をすぎてから)、
自分が今まで伝えてきた言葉や世界観は、ひょっとすると理解されていなかったのではないか、、と思いました。
当時はそんな私を見て、多くの人が
マイペース、ボーっとしてる、ドジ、、などと思われていたと感じますし、実際そう言われてきました。
ただ、、これも今思うと、サイキックだったのだなと
溢れ出るスピリットの世界や、インスピレーションをものに反映し、味わい尽くしてしまう。
一方で、エネルギーに敏感で、食べられないものやひとの変化に敏感なことは本当に大変なことでした。
そんな言語化できない苦しみが、当時はあったように思います
地球では、肉体年齢が同じでも魂の年齢がバラバラな人たちが同じコミュニティに属しています。
それは、繊細で物事に敏感、一見自分に関係なさそうなことにも胸を痛めたり考えたり、
周囲に理解されないという経験をするセンシティブな方たちには本当に大変だと感じます
なぜなら、周囲は彼らを理解することができないからです
その集団の中で抑え込まれた個性や一人ひとりの気持ちを、
大人たちは単に今世の先を歩いているというだけで頭ごなしに否定してしまっては、何も生まれません
たとえ園児だとしても、そこに肉体年齢から連想されるキャパシティや思考力、感受性はリンクされません
子供だから、と意見をないがしろにしたり、勝手に決めつけるとそれは彼らの傷になってしまいます
子供以外の、立場の弱い人間においてもそうです
子供の前ではわたしたちは皆、権力者ですし、社会的強者の「普通」はそれ以外の人を傷つけやすくなります。
もちろん、私たちはお互い無自覚に傷つけあうことがありますが、
想像する範囲を広げ、相手を知ろうとすることが大切ですね
これから益々こういったものの考え方、見方が求められると感じます。
サイキックセンスがないにしろあるにしろ、あらゆる種のひとがお互いを認めあって受け入れようとしながら暮らせる社会。
それを目指して日々、互いに向き合っていきたいですね🍀 ̖́-
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