どうも冬とはそりが合わない。
本日の1枚
撮影地:バージニア州・ノーフォーク
かわいい壁画を見つけました。周りにはアメリカンティーンのかっこいいスケーター達がいて、胸が高鳴りました。
こんにちは、Summerです。
名前の通り、夏が好きで
どうも冬とはそりが合わない。
冬から逃げるために、北半球が冬の時は南半球へ
南半球が冬になったら北半球へ
もしくは、南国へ逃避し続けたいと思ったのは、何歳の時からだろうか。
女子高生の頃、毎朝のように遅刻ギリギリだった私は、競輪選手の養成所にいてもおかしくない速さで自転車を飛ばすのが日課だった。
その頃の私は、自転車に乗って汗をかいて前髪が崩れるのが嫌で、夏が嫌いだった。
可愛かったな、と思う。
いつからか、冬になると鬱のようになるようになった。
夏の楽しさに気づいたからだろうか。
いや、楽しいからという理由だけではどうも説明がつかないほど、別人になる。
夏になると、恥ずかしいほどポジティブ思考になり、もう自分は無敵なんじゃないかと思うほど、無双状態になる。なんでもできる気がするし、毎日が朝から晩まで楽しいのだ。
汗をかいても楽しい、メイクが取れようが、前髪が崩れようが、なんだっていい。なんだか、気持ちが良すぎるのだ、夏っていう季節は。
でも、日本やアメリカには四季がある。
夏があれば、冬も来る。
私は冬になると、別人格が降りてくる。
他人の一言一句にピリピリし、他人のことが受け入れられない。
自分に自信はなくなるし、もう自分の人生は真っ暗だと思う。
軽度の躁鬱なのかと思うけれども、認めるつもりはない。
ただ、夏が好きすぎて、会いたくてたまらないだけなのだ。
あと少なくとも3ヶ月は冬があるのかと思うと、気絶しそうになる。
他人に対して優しくなれない自分と、他人に対して優しくいたい自分がぶつかり合って毎日大喧嘩をしている。そして、大体優しくいたい自分は負ける。
すると、自分は人にも優しくできないダメな人間だと自信がなくなっていく。
日々、絶望感と喪失感に駆られ、泣きたい気持ちでいっぱいだ。
冬、私が何をしたっていうのさ
とは言っても、やっぱり仕事や学校があると
北半球と南半球を半年ずつ行き来するのは無理がある。
だから、どうにか冬も生き延びないといけない。
性格を変えようとすると、変えられない情けなさに支配されてしまうので、私はこう考えることにした。
夏がないと生きていけない私のように、冬の間何ヶ月も夏を待ち続けている私のように
冬がないと生きていけない動植物がいる。夏の間、冬を待ち望んでいる動植物がいる。彼らは、夏がないと生きていけない私のために、だんまりと冬を待ってくれている。
だったら、私も彼らのためにだんまりと夏を待とう。
絶望感も、喪失感も、泣きたい気持ちも、全部抱きしめて、じっと夏が来るのを待っていよう。
そうやって生きている人間が、この世に一人くらいいたって、世界は変わらず回ってくれる。