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うつうつと

3月から4月にかけて、10数年ぶりにベッドから一歩も動けない、食べられない、風呂入れない、歯磨けない、死にたいモードがやってきて、
あ、これ鬱だ!再発したかも!
ってなってました。

わたしは大学4年間と卒業後の1年は、
酷い鬱病でほぼベッドとアパートの往復でした。

不思議なもので研修所入ってから鬱症状は一切なくなり、
いつの間にか薬を飲まなくても不安感などが出なくなって、
わたしにとって演劇がわたしを鬱から救ってくれたんだと思っています。

んで、久しぶりにやってきた鬱。
と言ってもわたしモダンミステリースクールの公認ヒーラーでして、
エクソシストの見習いなんかもやっておりますので、
そりゃ10数年前とは鬱を迎入れる器が違ってます。
鬱に身体を乗っ取らせて、
あーこんなしんどいんだー鬱ってーって観察してる感じ。
いやそれでもしんどくて、でもヒーリングを受けにいく気力もなくて、
先輩ヒーラーさんにスパークオブライフという遠隔セッションをお願いして、
やっと起き上がって家事が出来るようになったくらい。

スパークオブライフヒーリング

その他モダンミステリースクールのヒーリングはこちら

マジで久しぶりに死ぬかと思った、
というか自分で突発的に死に向かっていきそうでなかなかスリリングでした。

鬱だ、、、
と書くと色んな人を心配させてしまうのですが、
今回の鬱は多分、1番酷かった時期のまだ癒やされてない部分がカバラ4周目スタートしたことで吹き出したんだろうなと思っていて、
最後の鬱掃除!と思っているので、
鬱だ、、、と書いても抜け出せること知っているので大丈夫、だと思います笑

あ、カバラってなんだよ、って方はこちらをお読みくださいまし。

ユニバーサルカバラ

カバラ受けると自分のマインドの大掃除が始まります。今わたしが受けているのは、マルクート、自分の「王国」について見つめ直していきます。
わたしが学んでいる形而上学は人生の主導権を自分で握る、つまり自分がこの人生の王・女王として生きていくことについて学びます。

つまり、自分軸を確立する生き方を学ぶのです。

カバラを受けると、王・女王ではない自分をグルングルンに揺さぶられ、そぎ落とし、
本来の自分を取り戻していくのです。

だから色んなことが巻き起こる。
わたしはカバラ1周目で10年続けてたバイトを辞め、12年住んだところから引越し、
初めてCMが決まり、自分が出演した舞台がNHKで放映され、結局うまくいかなかったけれど、うん年ぶりに好きな人もできました。

毎回なんか巻き起こるから楽しくてつい何周もしちゃうんだけど、
3周目のカバラで気付いたことが
わたしがずっと本当に願ってきたことは
「自分の家族が欲しい」だったんだ。
ということに気づいてしまって、
4周目はそれを叶えたい!と思ってスタートさせました。

わたしはとーーっても恵まれた家庭で育っていて、
東京に出してもらって、
大学行かせてもらって、
演劇を続けることに反対もされず、
むしろ応援してもらい、
本当に本当に恵まれています。

でも、愛情たっぷり育ったかというと、
そうではない。全く。

教育にお金をかけてもらったり、
やりたいことを応援してもらえることも愛情なんだということは理解しつつ、

寂しいとき、辛い時、親に共感してもらったり、
大丈夫だよ、と慰めてもらったりした記憶が一切ない、、、

親がそういうことが子供にできなくても、
おじいちゃんおばあちゃんに可愛がってもらえてたらまた違ったんだろうけど、
物心ついた時には母方のじいちゃんしかいなかったし、ザ・九州男児の人で、
女なんだから家事手伝え、女なんだからこれやれ、とわたしに言ってくる人で、
ぶっちゃけ大嫌いだった笑
可愛いがってもらった記憶がやっぱりない。

母の日に喜んでもらいたくてピンクのカーネーションをプレゼントしたら
「これ、葬式の花なんですけど?」と冷たく言われたり、
夜中、泣いている母に寒いだろうと思って毛布を持っていったら、
うるさいあっちいけ!と追い払われたり、
一緒に買い物に出かけたときに転んで腕が痛いようと泣きついても唾つけときゃ治ると言われ数時間我慢し続けるも、聞き入れてもらえず、
なんとか病院連れていってもらったら骨折してたことも笑

父も気に入らないことがあるとすぐに殴る蹴るの暴力を振るう人で、
何度も殴られ、何度も蹴られているのを横目に母は平気で本を読んでおり、
どうして助けてくれなかったの?
と尋ねると、
「あんたが悪いからでしょ」と殴られて当然と言わんばかりの態度に、
幼心にわたしはこの人に愛されていないんだなぁ、と感じたのをはっきり覚えています。

側彎症になって首から腰まで矯正用のコルセットを着けることになった時、ああ、これでお父さんに蹴られても痛くないってホッとしたのも、
今考えると心がキュッとする。
暴力振るわれるのが本当に辛かったんだと思う。自分が虐待されてたなんて、認めるのが辛すぎて認められなかっただけで、
しっかり虐待されて育ってたんだってことに最近気づいてしまいました。

おお、出るわ出るわ昔の悲しい記憶たち。
そして鬱になったきっかけも。

わたしは中高と英語の成績だけは抜群に良くて、理数系はダメだったけど、
文系だと英語で有名な女子大狙えますよと高校の担任に母が言われたらしく、
それを嬉しそうにわたしに言ってきたのがわたしも嬉しくて、
母が喜んでくれるなら、と思って英語で有名な女子大(当時ノルウェイの森にハマっていて、ヒロインの直子と同じ大学だから行きたいっていうミーハー心もあった)
を受験して、合格。

これでやっと母も喜んでくれるだろう!
と思って受かったよー!!
と伝えたら大きなため息をつくだけ。
一言もおめでとうと言わなかった、、、

生まれてから母がわたしのことで喜んだことってあったのかなぁ。
多分ない笑 一度も。

小学生のとき、テレビ局主宰の合唱団のオーディションがあって、受けたいと頼んでそのオーディションを受ける当日の朝にお茶碗が割れてしまった時、母は嬉しそうに「不吉だねえ笑笑」と笑ってたのですが、
わたしが傷ついたり、悲しい気持ちでいた方が、母は嬉しかったのかもしれない。
だから本当は大学も落ちて欲しかったのかもしれない。

喜んでもらえると思って必死に勉強したのに、返ってきたのがまさかのため息ひとつ。
その時にわたしの心はパキンと折れたのでした。

そこから数ヶ月にパニック発作を起こして、病院で鬱病と診断され、
大学での人間関係もうまくいかず、
ストーカーに遭ったりなんやらで、
鬱は悪化していくのでした。

でも不思議なもので、
東京中の大学生が春休みからGWまで集まって英語ミュージカルをやるってサークルに参加してる数ヶ月だけは元気だったんですよねー。
鬱も本格的に演劇始めたら良くなったし。
だからやっぱりわたしにとっての元気の源は演じることなんだろうな。

久しぶりに寝たきり生活に戻って、
毎日希死念慮と格闘する日々で気付いたことは、
わたしはずっとずっとずっと寂しくて、
誰かに愛されたくて、
子供の頃に満たされなかった愛情を必死に満たしたくて、
カウンセリングやセラピーやヒーリングを受けまくってきたんだな、ということ。

自分の話を聴いてくれる人、
共感してくれる人、
励ましてくれる人、
癒してくれる人、
がお金を払ってでもわたしには必要だったのです。

みんな旅行に行ったり、
綺麗な洋服買ったり、
推し活したりする中で、
わたしが求めていたただ一つのことは、
愛情不足で空いた大きな穴を埋めることだけ。

ずっと普通になりたい、
私はみんなと違うと思ってたのは、
そのぽっかり空いた大きな穴が他の人にはないように感じていたから。

その穴を埋めてくれそうな人に出会うと、
自分が自分じゃないみたいにおかしくなって、
コントロールできなくなって、
どうしてもっと愛してくれないの!?
という怒りをどうしてもぶつけてしまう。

目の前にいる人は親じゃないのに、
親からもらいたかった愛情を他人に求めてしまう。求めすぎてしまう。

そういう自分の凶暴性をわたしはわたしが一番よく知っているから、
そういう自分が世界で一番嫌いだから、
誰かと親密になることをずっと避けて生きてきたのです。

誰か助けて!という想いと、誰もわたしに近づかないで!という想いの両極端をいったりきたりしながら生きていくことはとても辛い。

でも、ここ数ヶ月もだえ苦しんで得た答えは、
誰も決してわたしを助けてはくれないんだ、
ということ。
わたしを助けられるのはわたし自身しかいないんだということ。

子供の頃はそれが出来ないから親から愛情をもらって自分を満たす。

でも、わたしはもう子供じゃない。
どうやったら自分を癒せるのか必死に追い求めて、形而上学に出会って、
自分で自分を喜びに満たすことができるということを学んだ。
自分で自分の愛の器を満たして初めて他人を愛することができるということも学んだ。

わたしは寂しい。
とてもとても寂しい。
ずっと満たされないまま必死に誰から愛してもらいたくて、
ぎゅっと抱きしめてもらいたくて、
大丈夫だよと言ってもらいたくて、
わたしが人生でずっと願ってきたことはそれだけ。ただそれだけ。

でも叶わなくて、叶わないことが当たり前になることでそれを諦めて、
自分の奥底に沈めてきたけれど、

その沈めた痛みが鬱だったんだと、
やっと気付いて、わたしはその痛みをやっと見つけたのです。

たとへば千歳の闇室に、光もししばらく至れば、すなはち明朗なるがごとし。闇、あに室にあること千歳にして去らじといふことを得んや。


(『教行信証』、註釈版299頁、『往生論註』

たとえば千年もの間、一度も光の入ったことのない闇に閉ざされた部屋があったとします。この部屋に少しでも光が入れば、たちまちに闇は破られ明るくなります。千年もの間、闇に閉ざされていたからといって、その暗闇が光を遮ることはありません。同じように、迷いの闇は真実の光によって、たちまちに破られるのです。

自分が諦めてしまっていた、
わたしがこの人生でずっと追い求めてきたこと、

自分の愛の器を愛で満たして、
その愛で誰かを愛し、そして愛される喜びを感じて生きていきたい

この願いを、今度こそ自分のために叶えてあげたいのです。神様、どうか。

「最初から自分のことを自然に愛することができなかった人間にとって、人生は自分を愛するための冒険であり、それをする過程で他者への愛を知ろうとする冒険でもあると私は思います」

雨宮まみさんの言葉

そしてどうか、わたしと同じように愛に飢え、孤独を感じている人たちの助けとなるようにわたしを使っていただけますように。

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