善と悪、天国と地獄。

天使は僕にこう囁く、「貴方の幸せを歩みなさい」と。僕の中で幸せとは何だろう。僕の中で生まれる感情は何処へ向かうんだろう。

流れる月日は早くて僕の気持ちをおいていく。でもその月日を思い出すと涙が止まらなくなる。「何気無い日々は僕に幸せと悲しみを運んでくる物なんだね。」、そう知る頃には僕は………消えているだろうね。

理想を語るには現状を知らないといけないようだね。日々は僕に絶望を与える時だってあるよね。だけど挫けてはいけないんだ。それはただの試練だから。僕が成長し、現状を知るための…。天使が僕達に投げる矢だ。いつか僕達が終わる時の準備のようなもの。

死は終わるものではないんだ。また始まりなんだ。何も怖くないし、皆に一度は起こることなんだ。神が決めたことだし悔いはないよ。かぐや姫みたいに心が無になるのかなぁ?誰も生きてる人の中で死の事実を知っている者はいない。


「性善説」か「性悪説」かなんて僕には決められない。生まれたときから神のように美しい心を持って生まれてくる人もいれば、そうでない人もいる。

死んだら、天国と地獄、どちらにいくんだろうと思った事は無いだろうか。

「悪いことをしたら地獄だー」とか何とか言っている人もいるが、それだったら皆地獄行きだろう。

話によると、天国しかないらしい。諸説あるだろうが、僕が調べたところそうだった。僕は地獄に行きたかったので残念だった。

僕はテレビでドジョウを揚げているのを見た。生きているドジョウを小麦粉を水で溶かしたようなものに入れて熱い油の上に落とすのだ。

他にも生きているアサリを味噌汁にしたり、豚をトンカツにして食べたり、僕達は日頃動物に悪い行いをしている。僕は海老の髭を手で引っ張って取るのが可哀想で泣いた。

死ってそんなに容易いものなのか?人間の死は重いけど、動物は軽いのか?本当に残念な気持ちや有り難みを感じているのか?僕はベジタリアンでも構わない。

動物達は食べられるために生まれてきているんだぞ。過ごす日々は全く楽しくない、何も考えずに死ぬまで生きていられるか。僕が豚だったら、そういう気持ちだ。

文章で豚に名前をつけた少年が先生に豚に名前を付けて可愛がってはいけないと言うのを見たことがある。

豚を愛玩動物のようにはしてはいけないと

愛玩動物を虐待したら問題になるが、豚は沢山殺して問題ないと……。

分からない物だ。世の中は…。僕にはそれを止めることは出来ない。だからせめて出されたものは食べようと…そして彼らのためにも日々を幸せに生きようと、そして地獄で痛め付けられようと思っていたのになぁ………。

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