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評価自体を気にする意味が気になった話。

 こんにちは、スミレです。
 探究の授業の影響で、選択的夫婦別姓や同性婚、事実婚というワードに興味が湧きました。またnoteで知った離婚後の共同親権についても知りたい欲が沸きました。
 知識を深めて、自分の意見を持てるようになりたい。そういうつもりで調べていた時にある疑問が浮かんだので、それについて書いていきます。

 上記に挙げたものは、どれも日本では法的に認められていないものばかりです。望んでいる人々がいるのに何故認められないままなのか、気になって自分なりに調べています。
 調べていると「先進国」というワードがよく登場することに気がつきました。「先進国の中でこの仕組みを採用しているのは日本だけ」とか、「主要先進国の中では遅れている」とか。ネガティブな意味で登場することが多かったです。

 そこで浮かんだ疑問が「先進国と見做されることのメリットって何?」というものです。
 まず先進国とは、経済や技術が発展していたり、生活水準が高かったりする国のことを指すそうです。厳密に定義づけされているわけでもないそうです。
 ということは、「先進国」という評価が凄いのではなくて、「経済や技術が発展している」「生活水準が高い」ということ自体の方が凄いのでしょう?まあそれも、相対的に見て、という評価にしかなりませんけれど。

 世界と足並みを揃えることも大事なのでしょうけれど、本来気にするべきはこの国で暮らす個々人の幸せではないのでしょうか。

 この例えが適切かは分からないのですが。
 世界で一番テストの成績が良いクラスの生徒たちが、望んでもいないのに血反吐を吐きながらの努力を強要されて、泣いていたとしたら。
 世界で一番テストの成績が悪いクラスの生徒たちが、周りから軽蔑されようとも、互いを尊重しながら笑い合える子ばかりだったら。
 成績が良いと評価されることのメリットってなんだろう、成績が悪いと評価されることのデメリットってなんだろう。段々気になってきませんか?

 先進国であるかどうかも、同じだと思うのです。
 先進国であると「評価されること自体」のメリットってなんだろう。遅れていると「評価されること自体」のデメリットってなんだろう。

 私は、そんなもの存在しないと考えます。
 これまた例え話ですが、商品のレビューとか、ダイエットの方法とか。世間で絶賛されていても自分に合わなかったら意味がないし、どれだけ酷評されていても自分に合うのだったら選びたくなると思うのです。
 「みんなこうしているし、自分の印象も良くなるかな」と闇雲に自分を曲げていたら、そのうち自滅してしまいそうではありませんか?そんなことになるくらいなら、私は評価なんて無視したいです。

 もちろん、周りの先行事例はドンドン参考にしていけば良いと思います。
 それが自分あるいは国に合うなら取り入れればいいし、アレンジを加えた方が合うならそうすればいいし、どう頑張っても合わなそうなら無視でいい。

 もし、「進んでいる方が『印象がいい』から取り入れるべきだ!」とか「今のままでも『周りについていける』から必要ない!」とか。そんなふうに意固地に、感情的になっているのであれば、一旦立ち止まるべきではないでしょうか。
 多分、そっちよりも中身の幸福の方が大事だから。中身が満たされてから評価される方がよほど素晴らしいことだと思うから。

 ……政治について意見したかったのか、自分のメンタルを守りたかったのか、よく分からない記事になりましたね。こんな記事でも誰かの、何かの参考になることを祈っています。
 ここまで読んでくださりありがとうございます。

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