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2019年、色んな愛を感じた年。

気づけばもう11月も後半、私の住む北海道では雪が降り始めた。あと少しすれば長く、本格的な冬に入る。

外を歩けば息が白い。少し前まで暑さでだらけていたのに一年なんてあっという間だ。

ただ流されていた訳でも無い。
自分で考え、望んでその波に乗った。

そう思うと今年は怒涛の様に過ぎていった。
フリーランスとして生きていく道を選び、それから幸いにも撮影を重ねられた日々。

後先考えずにフリーランスモデルとしての最初の目標が叶いそうだった時、「これだけは譲れない!」という思い一つだけで、撮影地の大阪行きを決めた。

その時には
「大阪か……旅費……」等、後々どうしようと悩まされた。

そう、今の私にはお金が無い。


少し昔話になるが、私は長年に渡って精神疾患に悩まされている。
溜まり溜まって去年の夏に自殺未遂を起こしてしまい、精神科の閉鎖病棟へ入院していた。

自由の無い入院生活は私の性分には合っておらず、自殺を未遂とはいえ決行してしまった自分を反省した。

そして早く退院したくて担当医にはウソを付き、まずは1ヶ月で開放病棟への移動、そして開放病棟で次の生活の手続きをしながら「家が決まり次第退院」と担当医からやっと退院の許可が降りた。

そして2ヶ月少しの入院生活が終わった。
初めは街の風の匂いや緑の匂い、音等が全て新鮮に感じた。

ある意味生まれ変わったような、そんな感じがした。


それから私は生活保護を受け暮らしている。

生活保護なんて言えば「税金で暮らして·····」なんて世間の目は厳しいだろう。
しかし担当医とケースワーカーさんのGOサインが出ないとまだまだ働いて良い状態ではないらしい。

私だって出来れば働きたい、生活保護なんて早く抜け出したい·····というのも、生活保護での生活もなかなか私の性に合わない(笑)

生活の全てを国に管理されている気がするからだ。
毎月来るケースワーカーの家庭訪問、そこでは暮らしぶりやお金の使い方などを逐一聞かれる。
そこで申告するべき事はして、数枚書類にサインをしてそれを持って帰っていく。

最初は初めての生活に色々と苦労し、疑問に思った事や、少しおかしいんじゃないか?て思った事はケースワーカーに言ったりしていたが

「規則なので」

という言葉で終わり。
でも私はその言葉だけでは納得出来ない性格で、どうしてそういう規則が出来たのかを知らなければ理解出来ないのだ。

例えば、数学の公式。
あれはどうしても覚えられなかった。
仮にも教諭だった父に聞けば「昔の人が決めたの」

そうじゃなくて!

私が知りたいのはどうやってその公式が出来たのか、過程と仕組みが分からないと理解出来ず頭に入ってこない。

歴史ならちゃんと物語があって、きっかけがあってこういう事が起こりました。
それなら順を追えばいいだけだから覚えられる。

なんとも面倒臭い頭をしていると思う。

話を戻して、そんな面倒臭い頭のやつが少し反発すれば

「保護、切られますよ?」

という始末で。
いやいや、もっと酷い奴いないか?ニュースとかで見たことあるぞ?とか

じゃあ切りやがれ!野垂れ死に?上等じゃないか、それでもよければ、どうぞお切り下さい。

とか思った事もある。
(この少し怒りっぽくなるのは今飲んでいる薬の影響かと思われるがヤル気の出ない私には丁度いいらしい(笑))

ただ一旦死にかけて、また生まれ変わったんだと感じた事を思い出し、大人しく生活保護の加護を受ける事に決めた。

ほんの数年前はバカみたいに働いて全国駆け回っていたのに、プツンと糸が切れた人形は動くことすら困難だ。
働けない、お金が無いってこんな窮屈なのか·····とほぼ毎日寝ながらスマホを弄り、薬を飲んで寝る。

無理をして働けないワケでもない。
女性には腹をくくれば最後のライフラインがある。
元気だった頃はそれで全国あちこち飛び回って稼いで行きたい所に行っていたりした。

退院してから少し復帰してみたものの……私には経験が長すぎたのか、もう歳なのか(笑)
店にも煙たがられ、ここも私の居場所じゃないのか……と感じ今はほぼ辞めたと言ってもいいだろう。

(散々尽くしてきたのに、体調は考慮するよって言ってたのに使えないと判断したら途端に態度が変わるの止めてくれませんかー(*」´□`)」)

ついでにヘルニアのせいか最近脚までやられている。
先生曰く、脚の神経まで刺激しているようで……
痛みから次は痺れと若干感覚がマヒしている。

お陰でよく転ぶようになったり……近くのコンビニへ行くにも足を引きずりながら歩く。

「もう私壊れてるじゃん」

といつも近かった道のりがとても遠く感じられて自虐にも近い独り言を呟いたりする。


自分語りが長くなってしまったところで、そう、冒頭で話した大阪行きがどうなったかって??

まず親に懇願した。
しかし両親共に病気で倒れ、同じく生活も厳しい。
だけど一人っ子の私は頼れる場所がそこしかなかった。

「どうしても叶えたい夢が叶いそうなんだ、だから……」

と言ってみたものの昔から感じていた、私にはあまり興味が無いのでは??
(初めてうつ病になった時、何故か薬を全部捨てられた経験からそう思うのか)
という事がまた浮き彫りになった。

「仕方ないけど諦めるしかない、今はそんな事している状況じゃないのだから」

と。何度か聞いてきた言葉だが……まぁ、正論ではある。
しかしどうしても私が掴んだ夢、フリーになって一番初めに決めた目標。

『闇の王展にモデルとして出る』

が大阪のカメラマンさんにモデルとして選んでいただき、その時すでにグループLINEでカメラマンさん、ヘアメイクさん、メイクさんと私でテーマなどを決め形はほぼ決まっていたのだ。

あとは大阪行きのチケットだけ。

親はダメだった。もう私行けないんだ。
私がもっとお金の管理とか上手く出来るやつだったらもしかしたら……等と自分を責めた。

一人じゃその感情に耐えきれず、何でも話せる友人に気がついたら泣きながら電話をしていた。

私が話した内容は覚えていない、ただ悔しくて歯がゆくて泣き喚いていたのを覚えている。

その友人にはずっと前から話していた。
「闇の王展」に出たいんだ、と。
それに私の暮らしぶりも知っている。
落ち着いてからハッと「なんて人に電話してしまったんだろう」と思った矢先

「大阪まで、どれだけあれば行ける??」

ごめんなさい、そういう事で電話したんじゃなくて、本当に感情のやり場が無かっただけで……無意識というか無神経というか……

最初は断った……

「夢だって話してたじゃないか、これは返さなくていい、夢、叶えてこい」

という言葉で私はさらに違う感情で泣き崩れてしまった。
私も知っている、コイツは決めたら曲げない、言った事は頑としてやめたりしない。だから

「ありがとう……」

とちゃんと言えていたか分からないが、少し経って私の口座に旅費とその間の少しの生活費が振り込まれていた。


北海道に比べ蒸し暑い大阪に降り立ったのはそのすぐ後の事。

私はお会いしたかったカメラマンさんに会う事が叶い、さらにその方が選んだモデルになれた。

私の夢だった『闇の王展』の作品撮り。

ヘアメイクさんもメイクさんも広い世界で活躍されてる方々だが、気さくで私の意見も取り入れて下さり、女性だけのチームだったので私は昔通っていた女子校の雰囲気を思い出しながら、撮影は終始楽しいものだった。


そして何日後だろう、撮影から間もなく、渋谷にあるLE DECO(ルデコ)というギャラリーで開催された『闇の王展 2019』に私達の作品が並んだ。

大阪行きで精一杯だった私は展示には行けなかったが、私の魂はそこに置いてきたつもりだ。


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私のInstagram等を見て花魁で行こうと言ってくださったカメラマンさん。
それに合わせ日本髪のレッスンに行かれたり、髷を用意して下さったヘアメイクさん。
私の意見や要望を聞いて面白そう!と言って色々と取り入れて下さったメイクさん。
現場には来れずともイメージにあったネイルチップを作って下さったネイリストさん。

皆の作品。

そこに私は生き様を込めた。
私が体験した事、私にしか表現出来ないこと……

これを見た誰かの心に残ってくれれば幸いだ。

そして大阪行きのチケットをくれた友人が展示会に行ってくれた。
展示フロアで真っ先に目に付いたのは紅く光る花魁人魚だったそうだ。


その後も今年はその友人なり、昔お世話になった方に「ストレス発散になれば」と色んな所へ連れ出してくれた。

人に甘える事を知らなかったので今もこれでいいのだろうか……と考える。
いや、倍にして返す事を約束したい。
次の私の夢は


「見てくれる人が少しでも元気や笑顔になれる、エンターテイナーになること」


次は私の番だ。



#たすけてくれてありがとう
#思い出  
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