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親ガチャみたいな運要素は、救いの側面もあるんじゃないかな

お久しぶりです。
澄田美稲すみだみねです。

以前、こんなツイートをしたことがあって、
それについて今回はちょっと深掘りしてみようかなと思い
この記事を書いています。

言いたいことはほとんどこのツイートに詰まっているんですが。

最近、親ガチャという言葉をよく目にします。

親がお金を持ってるかどうか、親が権威ある立場かどうか。
容姿がいいか、頭がいいか、継ぐ会社があるか、など。

親が子に与える影響は計り知れない。
生まれ育った環境に子供の価値観は大きく左右され
親のDNAによっては生きやすさが大きく違ってくる。

もちろん顔が良ければ人生楽勝かと言われればどういうわけではないし
頭が良ければ出世できるのかと言われるとそういうわけでもない。
お金があれば幸せになれるのかと言われると……これはちょっとそうかもしれない。

でも、容姿も頭の良さも財力も、全部あるに越したことはないわけで。

ないよりかはそりゃあったほうがいいわけです。

だからこそ妬みが生まれるし、親ガチャなんて言葉がある。

もちろん過度な格差は埋めるべきです。
明日寝る場所も食べるご飯も保証されない、こんな子供はいなくなるべきだと私も強く思う。

でもそれでも、この格差に救われている部分もあるのではないかとたまに思うことがある。
自分ではどうしようもない、圧倒的に理不尽な生まれながらの格差があることで自分の現状を慰められる。

テレビで、YouTubeで何億円と稼ぐ人を見ても
「自分とは住む世界がそもそも違う人だ」と心穏やかでいられる。

ドラマで、ライブでキャーキャー言われる美男美女を見ても
容姿は親からの貰い物なんだから、自分が劣っているわけではないと言い聞かせられる。

学校で成績優秀な奴がいても、スポーツ万能な奴がいても、
自分にはその才能がなかったんだと諦められる。


もしこれが、全員等しく同じDNAで同じ環境に生まれて、国などの管理のもとで同じ教育を受けて同じ暮らしをしていたら。

私はきっと劣等感で死んでしまう。

そこでの優劣は純粋な努力の差になってしまう。
自分が頑張らなかった分、自分の地位が明確に決まってしまう。

今のこの理不尽な世の中は

理不尽な故に自分を許して、慰めて、諦めて

そうやって自分を守って生きていけるんだ。


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